【阪神ファン目線】田尾安志の年俸&成績リサーチ!トレードと監督時代が暗黒だった!

阪神選手90年代
虎次郎
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今回は田尾安志の阪神時代や年俸&成績などの生涯キャリア、トレードで放出した背景や監督時代が暗黒だった事などピックしていきます!

田尾安志が阪神ファンからの視点でトレードからやってきた後の成績や年俸などは下降線を辿っていきましたが、彼が阪神に入団したことは当時かなり話題になっていました。

そんな田尾安志ですが、監督も後に経験しておりその当時はまさに阪神の暗黒時代よりもヒドいモノでしたね。。^^:

今回はそんな彼の阪神時代からトレード、監督までのキャリアを振り返っていきましょう。

阪神ファンは阪神時代の田尾安志をどう見ているのか?

虎次郎
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同志社大学時代、投手として活躍し関西六大学野球リーグで3度の優勝を経験し、1973年の全日本大学野球選手権大会で準決勝にまでコマを進めたこともある田尾安志

出典https://www.youtube.com/

1975年に、中日ドラゴンズから一位指名を受けてプロの道へと進み、俊足巧打の外野手として、なくてはならない戦力として活躍していました。

打席の構えで、バットをぐるぐると回すその様子から、「円月打法」と呼ばれたその独特のフォームから降格に打ち分ける技術を持ち、安打製造機の異名も持ち合わせていたほどです。

田尾安志

田尾安志

そんな彼ですが、2度のトレードを経験しています。

一度目のトレードは1985年、杉本正大石友好とのトレードで西武ライオンズへと移籍しました。

チームの顔でもあった田尾さんの放出は、ファンにとってまさに寝耳に水の事であったようで、トレード撤回を求めて署名活動まで行われたほどです。。^^:

しかも、そのトレードが通告されたのがキャンプイン直前の1月24日でした。

しかし、西武に移籍した田尾さんは徐々に成績が落ち始め、1987年には阪神へと移籍、1991年に現役を引退しました。

しかし、ファンはやはり田尾さんが一番減益として輝いていたのは、中日時代であったと口をそろえて言います。

五打席連続敬遠など、相手からしてみれば非常に厄介なバッターであったのは言うまでもありませんが、中日から西部に移籍した際には、すでに年齢も34歳とベテランの域に達しており、全盛期のような活躍は見込めなかったように思います。

更に2年後、36歳ともなればそろそろ引退という二文字が頭をよぎる年齢に差し掛かりつつあり、以前のように打ってよし、走ってよし、守ってよしの走攻守三拍子そろった選手とは程遠く、最終的な代打のみとなってしまいました。

田尾安志

出典https://www.sankei.com/

阪神から西武に行って、代打の切り札的存在だった平尾博司と似ていますね!

ただ、もしも阪神ではなく中日へと復帰していたら、もう一花咲かせられたのではないか、という意見もあります。

確かに、現在でも福留孝介などのベテランをうまく使えるノウハウがあるので、もしかしたらということもあるかもしれませんね^^

ここで田尾安志の生涯成績&年俸を見ていこう

虎次郎
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1975年のドラフト会議で、中日から1位指名を受け入団した田尾安志

ルーキーイヤーの1976年4月17日から5番・レフトで先発出場を果たしますが、その後は徐々に代打起用にとどまり、自ら二軍降格をコーチに志願。

田尾安志

田尾安志

大学時代に投手であったことから、守備・走塁に関しては決してプロのレベルには到達していなかったのです。

5月、6月としっかり二軍で実績を積み、8月から一軍に復帰、打率.277の成績で新人王へと輝きます!

1977年には、助っ人外国人であるウィリー・デービスに定位置を奪われますが、翌1978年には再びレギュラーを獲得、その後も安打製造機という肩書通り、ヒットを積み重ねていきます。

更に、1982年に首位打者のタイトルを争ったことがあります!

田尾安志 首位打者争い

しかし、10月18日の大洋ホエールズ戦で5打席連続敬遠と勝負をさせてもらえず、結果大洋ホエールズに所属していた長崎啓二が首位打者のタイトルを獲得しました。

その後、1985年に杉本正、大石友好とのトレードで西武に移籍しましたが、在籍していた2年間ではどちらも優勝を経験、1986年には日本一も経験することが出来ました。

田尾安志 生涯成績

田尾安志 生涯成績

田尾さんは、生涯でこのような成績を残しています。

やはり、生涯打率.288となかなかの好成績を残していますね。

また、本塁打もわずかに一本届きませんでしたが、150本近いホームラン数を叩き出しているので、パンチ力もあったようですね!

しかし、フォアボールを選ぶのは得意ではなかったようで、安打数にしては出塁率があまり高くないようですね。。

そんな田尾さんは、どのような年俸をもらっていたのでしょうか?グラフで示してみることにします。

田尾安志 生涯年俸

田尾安志 生涯年俸

1982年で首位打者のタイトルを逃したといってもそのことが評価されているのか、翌年1983年の年俸が一気に上がっているようですね!

田尾安志のトレードは阪神にとって失敗だった・・?

虎次郎
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1987年に、阪神へとトレードでやってきた田尾安志。

在籍期間は5年ほどで、1209打席に立ち、1111打数353安打、111打点という成績を残しました。

田尾安志 阪神トレード

田尾安志 阪神トレード

1988年に打率.300を記録したものの、140打席と規定打席には到底届かず、その年も活躍したとは、とてもいいがたいものでした。。^^:

すでに年齢は36歳と高齢であり、劣化が始まっていた田尾さんを取る意味があったのか、と問われれば少し首をかしげてしまうかもしれません。。

阪神と西武のトレードが成立した1987年ですが、西武からは田尾さんを、阪神からは吉竹春樹と前田耕司を放出し、トレードが成立しました。

吉竹は西武へと移籍したそのシーズンからレフトのレギュラーとして定着し、8月11日の近鉄戦で追った骨折の影響で1年のブランクを生み出しますが、1988年の日本シリーズ第5戦に先発出場を果たし、1989年には完全復活、再びレフトのレギュラーとして打率.314の好成績を収めています。

田尾安志

前田も、移籍したシーズンから左腕不足であった西武において、一軍での試合機会が増加、1988年にはアメリカ1Aへの野球留学を経て、同年9月に初勝利を挙げるなど、一定の活躍を果たしています。

ちなみに阪神からトレードで西武に行った平塚克洋も忘れてはいけないですよね!

当時、阪神は育成ではなく結果を求めて、実績のある選手をかき集めていました。

田尾さんと言えば、5打席連続敬遠を初め、最多安打に3回輝くなど輝かしい実績があります!

当時の阪神にしてみたら、年齢はともかく優勝を目指すうえで、実力を伴った選手である田尾さんを欲しがったのは、仕方がなかったのかもしれませんね。。

田尾安志の監督時代はまさに暗黒だった・・

虎次郎
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2005年に、近鉄とオリックスの合併に伴って生まれた新球団「楽天ゴールデンイーグルス」。その初代監督として選ばれたのが、田尾さんでした!

しかし、球団再編の煽りから生まれた新球団の戦力は、決して潤沢とは言い難いものでした。。^^:

田尾安志 楽天監督

合併された近鉄とオリックスのプロテクトから漏れた選手たち、そして他球団の戦力外選手で構成されたこの球団は、行ってしまえば寄せ集め球団のようなもの。。

この中にも、阪神から楽天に行った沖原佳典もいましたね!^^

勿論、岩隈久志のように自ら志願して移籍した選手も居ましたが、戦力にならない選手で構成された楽天は、すでにその時点で最下位になることが容易に予想できたことでしょう。

しかし、自身の経歴に傷を残すことが見えていたとしても、誰かがやらなければならない。

以前から楽天の初代GMマーティ・キナート氏からアドバイスを求められていた田尾さんですが、最終的にオファーを受け、自身が初代楽天監督となりました。

出典https://www.youtube.com/

田尾安志

そして迎えた開幕、初戦こそ岩隈さんの好投で白星スタートとなるものの、次戦ではプロ野球史上でもまれにみる26対0という歴史的な大敗を喫してしまい、その後も連敗に次ぐ連敗で、むしろ勝てる事のほうが珍しいほどでした。。^^:

田尾安志

出典https://news.line.me/

結果として、そのシーズンを38勝97敗1分けと、なんとか100敗を防ぐことが精一杯のシーズンとなり、たった一年で田尾さんは解雇されてしまいました。。

そんなシーズンのさなか、田尾さんへの圧力は意外なところから生まれました。

これだけ負けが続けば、もちろんファンからの批判があってしかるべきなのですが、生まれたての寄せ集め球団であることを解っていたのか、ファンからの声援は非常に温かいものだった。

と、田尾さんは言っています。

しかし、その圧力はむしろ球団のオーナーからのものが大半でした。

まだシーズン序盤であった4月から、”若手を使え”との要請が、田尾さんにもたらされます。

しかし、まだ生まれたての球団では、使える若手というもののほうが珍しく、「今、使える若手が見当たらない・・」と、田尾さんは返答します。

更に、同月に11連敗を喫してしまった時、オーナーはその責任をヘッドコーチと打撃コーチの二名に押し付けてしまいます。

「二人のコーチがだめで負けているわけではないから、それはおかしい・・」田尾さんも必死の抵抗を試みますが、結局その案は押し切られる形で決行されてしまい、激怒した田尾さんは辞表を提出しようとします。

しかし、奥さんの一言でそれは思いとどまったものの、この時から楽天フロントとの確執があったようですね。

一年目で解雇されてしまったのは残念でした。二年目も続けるつもりだったので、ソフトバンクやロッテの監督にトレードの相談をお願いしていた。あと2年やらせてもらえば、最下位から脱出できるチームにできたと思う。

田尾さんはこのように語り、監督業を続けるつもりであったことを明かしていました。

もしも、本当にあと2年監督を続けられていたら、どのようなチームになっていたのでしょうか。。^^:

田尾安志とイチローの関係が奥深い!

虎次郎
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日米通算4367安打を放ち、振り子打法でも知られているスーパースター・イチロー。

出典https://www.youtube.com/

そんなイチローでも、実はとある選手にあこがれを抱いていました。

それが、田尾安志です!

田尾安志 イチロー

田尾安志 イチロー

元プロ野球選手であり、現在はYouTubeチャンネルを開設しておられるデーブ大久保の番組で、田尾さんが出演された際に、そのイチローさんとの秘話を語っていました。

まだ、イチローが2軍生活をしていたころ、解説者であった田尾さんはピッチャーであったこともあり、イチローへのバッティングコーチを買って出たのです。

その第一印象は、とにかく「芯で捉えるのがうまい」ということでした。

しかし、欠点として身体を前に突っ込んで打つ、所謂フロントレッグヒッターであるがために、逆方向へいい打球を飛ばせないということを指摘。

すると、次に会った日にはイチローのフォームが変わっていました。

田尾安志 イチロー

それが、イチローの代名詞である振り子打法です。

しかし、田尾さんは逆に、そのイチローさんの対応力に驚きを隠せなかったようですが。。^^:

また、イチローのバッターボックスに入るまでのルーティーンが、田尾さんにとてもよく似ているようです。

田尾さんにあこがれを抱き、そのフォームをモデリングしていたイチロー。

世界に通用する安打製造機の原点が、田尾さんのモデリングだったのは少し意外でしたが、天才バッターがあこがれるほどの人物である田尾さんもまた、すごい選手だったのでしょうね!

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