【今現在⇒スカウト!】平塚克洋の息子は大賀!成績&年俸チェック!

阪神選手90年代
虎次郎
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今回は平塚克洋の現在はスカウト業で息子(子供)は「平塚大賀」と言うスラッガーだった!成績や年俸など生涯キャリアを調査していきます!

平塚克洋と言えば、阪神で最もキャリアハイの成績を収めたバッターでした。

そんな彼は、今現在スカウトとしてその非凡な才能とセンスを発揮しているようですね。

息子も野球をしているようで、平塚克洋の阪神時代から全キャリアとして成績&年俸などもチェックしていきたいと思います!

平塚克洋の今現在はスカウト!大山悠輔を発掘!

虎次郎
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元々平塚克洋は、大洋のプレイヤーだったんですね!1989年のドラフト会議で大洋ホエールズから3位指名を受けて入団しました!

出典https://www.youtube.com/

しかし、1年目から一軍登録されたものの、その出場は主に守備要員としての出番が多く、出場機会を求めてか1993年オフに葉室太郎とトレードでオリックスへと移籍、1994年のシーズンには仰木監督の下、41試合に出場します。

5月1日のロッテ戦から20日のダイエー戦まで4番打者として一軍定着するかと思われましたが、打撃不振に陥り、レギュラーをはく奪されて1996年開幕前に阪神へと金銭トレードで移籍。。

平塚克洋

平塚克洋

阪神へと移籍した1996年は主にファースト、ライト、レフトで起用され不振に陥っていた石嶺和彦に変わり、レギュラーに定着!

5月10日の巨人戦で満塁ホームランを放つなど、活躍を見せましたが8月31日のヤクルト戦で守備中に右足首を骨折してしまいます。。

ですが最終的に、105試合出場と過去どの試合よりも出場を果たし、打率.254、ホームラン11本、47打点、OPS.727を記録。

長打率も.397と非常に高く、中距離法としての才能を開花させます。

平塚克洋

その打棒は、横浜の守護神であり、大魔神と恐れられた佐々木主浩に強く、唯一黒星を付けた試合でも、先頭打者でヒットを放っていました。

1999年に西武ライオンズへと移籍しますが、チーム方の若返り策もあって出場機会は主に代打のみで、結局2000年にトレード要員通告を受けます。

しかし話がまとまらず、10年間の選手生活にピリオドを打ちました。

その後は、スカイAで近鉄戦中継の野球解説者として活躍。

平塚克洋

出典https://ameblo.jp/

1年目からその玄人好みの解説を披露し、人気を博しました。

更に、専属契約の前には関西テレビの中継にもゲスト解説者として出演した経験もあります。

その1年後の2002年には、阪神の二軍打撃コーチとしてチームに復帰します。

2008年にスカウトとしてフロント入りするまで、1軍打撃コーチ、二軍打撃コーチ、二軍外野守備・走塁コーチを務め、暗黒時代であった阪神の立て直しに、ひと役買います。

2013年にはスカウトへと転身し、東京六大学首都大学リーグを含む関東を中心とした地域を担当し、2022年現在では主力として活躍している大山悠輔や、青柳晃洋などを発掘、チームの主軸を担う選手をスカウトしています!

平塚克洋はスカウト無能?なぜワードが?

2022年現在でも活躍している選手を多数スカウトしているのになぜ平塚に「無能」というワードが出てくるのでしょうか?

平塚克洋 スカウト 無能?

平塚克洋 スカウト 無能?

虎次郎
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2013年から関東担当の言スカウトとして、数々の選手を発掘している平塚ですが、その内容を見るに検索ワードに出てくるような、「無能」さはあまり感じられませんでした。。

2015年には、ヤクルトと競合することになりましたが、新人王を獲得した髙山俊や坂本誠志朗、青柳晃洋など現在でも活躍している選手を多数スカウトしているほか、2016年にはホームラン王争いをした大山悠輔をスカウトしています。

平塚克洋 スカウト

出典https://www.daily.co.jp/

情報を見てみたところ、やはり平塚が無能という項目はありませんでした。

なので、これは私個人の主観になってしまいますが、平塚は決して無能というわけではない、と思います。

やはり、4番を任されるまでに成長してきている大山や新人王を獲得した高山を取れたということが評価できると、個人的には思っています!

平塚克洋 スカウト

出典https://toralucky.fun/

2022年のドラフトでも、有能な選手をスカウト出来れば、有能スカウトと言われていた田中秀太の穴を埋める戦力補強の要になるかもしれませんね。

平塚克洋の息子は平塚大賀!明大のスラッガーだった!

虎次郎
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2014年、春日部共栄ナインの一員としてその名前はありました!

「平塚大賀」、3粘性当時は春日部共栄高校のファーストのレギュラーとして夏の全国高校野球甲子園に姿を現しました。

平塚大賀

平塚大賀

出典https://www.nikkansports.com/

その初戦の相手は、選抜優勝を飾った龍谷大平安高校だったのですが、初回からデッドボールを含め、一挙五打点の猛攻で強豪校を粉砕、5-1のスコアで見事初戦突破を果たします。

守備の場面でも、3回にカメラマン席に飛び込むファウルボールを捕球。

ファインプレーで球場を沸かせます。

残念ながら2回戦で敗戦してしまいましたが、

最後に楽しめた、父に恩返しできたと思う。

と誇らしげに語り、爽やかに甲子園を後にしていったようです。

春日部共栄高校を卒業後は、明治大学に進学。

2018年の東京6大学リーグでは明大で4番として出場、9月23日の慶大戦では、3安打2打点の活躍を見せ勝利に貢献しています。

父親譲りの勝負強くパンチ力のあるバッティングで初回ノーアウト満塁の場面で先生の2点タイムリーを放ち、初戦から低迷していた打線に勢いをもたらしました。

現在は社会人としてNTT東日本に就職、社会人野球人として、現在も野球を続けているようです!

平塚克洋/生涯成績や年俸をチェック

虎次郎
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1989年のドラフト会議で、大洋ホエールズ(現在の横浜DeNAベイスターズ)から3位指名を受けてプロ野球選手となった平塚克洋。

出典https://www.youtube.com/

春日部共栄高校ではエースで4番を経験し、明治大学時代には1986年の秋季リーグで優勝も経験するなど、投手としても、そしてバッターとしても非凡な才能が有りました。

しかし、大洋へと入団したものの、その活躍は主に守備要員でした。結局、入団から4年後の1993年にオリックスへとトレードされ、このころから、平塚は中距離バッターとしての片りんを見せるようになります。

ですが、5月21日以降は打撃不振から出場機会が減り、1995年には自由契約の話が持ち上がりますが、ここで手を挙げたのが阪神タイガースでした!

その年から、平塚は一気に才能を開花させます!

平塚克洋

 

藤田平監督の下、3ポジションをたらいまわしにされるなど起用法は安定はしませんでしたが、それでも初めて規定打席に到達。

長打率4割近くを叩き出すなど、中距離バッターとして活躍します。

その後、1997年には阪神の主力選手として活躍、翌年からは出場機会が徐々に減っていくものの、右の代打として勝負強さを発揮することになりました。

1999年のシーズン途中には西武ライオンズへとトレードされますが、そこでもやはり、外野の準レギュラーや代打としての起用となり、2000年のオフシーズン、しかもトライアウトが終了した後でトレード要員として登録されてしまうという、なんとも間の悪い通告を受けてしまいます。

結局、トレードの話がまとまることはなくこの年限りで現役を引退、その後は古巣・阪神でコーチを務め、現在は関東地方を担当するスカウトとして、所属しています。

およそ10年間という現役生活を送った平塚ですが、どのような成績を残したのでしょうか?

平塚克洋 生涯成績

平塚克洋 生涯成績

こうしてみると、阪神での活躍がかなり目立っているようですね。

とくに、キャリアハイを達成した1997年は、その持ち前の長打率をいかんなく発揮し、.444という高い率を誇っているようです、

また、135試合で出場を果たし、暗黒時代と言われていた中でかなりの活躍をしていたようです。

それでは次に、年俸はどのようになっていたのでしょうか?

平塚克洋 生涯年俸

平塚克洋 生涯年俸

1996年の年俸の情報はありませんでしたので、憶測になりますが、前年度はオリックスで4番打者をシーズン途中までになっていたこともあり、最低でも現状維持くらいの年俸はあったのではないかと思われます。

しかし、やはり全試合に出場し、打率.293、長打率.444を達成している1997年には、大幅な年俸増を提示されていたようですね。

1軍で活躍し続けているので、当然と言えば当然なのかもしれませんが。(笑

阪神時代は長打率も高く勝負強かった!

虎次郎
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元々、長打力が魅力である打者で、その才能が開花したのは阪神に移籍してからの事です!

当時、指揮を務めていた藤田平監督の下で石嶺和彦の不振を受けファースト、ライト、レフトと3つのポジションを任されるなど徐々にレギュラーとして定着、シーズン105試合に出場し初の規定打席にも到達、打率も.254とそこそこの成績を残します。

平塚克洋

しかし、長打力を見てみると.397と4割近くが長打で、5月10日の巨人戦では、マリオ・ブリドーからグランドスラムを放つなど、中距離バッターとしての可能性を存分に見せつけてくれました。

翌、1997年となり、吉田義夫が新たに監督に就任すると、完全に阪神の主軸選手として起用され、全試合に出場。

ファーストとレフトを兼任し、キャリアハイの打率.293をマーク。ホームラン17本、68打点と主軸として申し分ない記録を残します。

しかしちょうどこの頃の阪神は暗黒時代真っ只中で、主に湯舟敏郎平尾博司、トレードでやってきた田尾安志などレギュラーを張って出場していたプレイヤー達が軒並み今一つでその影響からかチームも低迷。。^^:

ただ、平塚個人ではオールスターにも初めて選出されました。

しかし、特筆すべきはやはりその長打率でしょう。

平塚克洋

シーズンフル出場を果たし、高打率をマークしているにもかかわらず、その長打率は.444と、前年を.050以上も上回る成績を残しています。

しかし、その反面併殺数も81と決して少なくはなく、正しく「当たれば飛ぶ」と体現した選手だったのかもしれません。

1998年には坪井智哉、大豊泰昭、アロンゾ・パウエルの加入でスタメン機会こそ減ってしまいますが、打率、打点ともにサブとしては十分な成績を残しています。

さすがに長打率は前年度のような記録を残せませんでしたが、それでも.385と十分な成績を収めています。

1999年では、5月以降は代打起用が主になっていきますが、当時横浜で最強を誇っていた守護神、佐々木主浩にシーズンで唯一黒星を付けた試合で、平塚は先頭打者として安打を放ち出塁しています。

平塚克洋

しかし、33歳とベテランの域に差し掛かりかけていたこともあってか、この年の6月4日に、西武ライオンズに所属していた投手・杉山賢人とトレードされ、阪神を去っていきました。

大魔神に黒星をつけるきっかけを作り、中距離バッターとして阪神の中軸を3年間支えた平塚ですが、やはり暗黒時代と言われていた阪神の闇に飲まれてしまったのでしょうね。。^^:

もし、時代が時代であれば、彼もまたVメンバーの一人になっていた可能性もおそらくあるのではないでしょうか?

ここへ来て、現在はスカウトとして未来のトッププレイヤー発掘のために日々邁進しているそうですね。

今後に注目です!

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