【娘は宝塚なの?】大豊泰昭/現在お店は閉店?嫁(妻)はかなり美人だった!

元阪神選手/現在飲食店
虎次郎
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今回は大豊泰昭(たいほう・やすあき)の娘や嫁(妻)&現在のお店(大豊飯店)はどうなったのかについてリサーチを掛けてみたいと思います。

大豊泰昭と言えば阪神時代にトレードで中日から加入し、スラッガーとして期待されていましたが全盛期と比べると中々思うような結果を残す事ができませんでした。。

引退後は、飲食店オーナーとしてお店を開き家族共々娘や嫁さんと生活をされていたようですが、現在そのお店はどうなったんでしょうか?

早速、見ていきたいと思います。

大豊泰昭の娘(子供)は宝塚だった!?

虎次郎
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台湾生まれの彼は1988年、憧れであった王貞治の背中を追う形で日本プロ野球のチームである中日へと入団しました。

出典https://www.youtube.com/

1994年にホームランと打点の二冠に輝くなど、その長打力は目を見張るものがあり、1998年に至るまで、中日の主軸として活躍していました。

また、王貞治へのリスペクトから一本足打法に強いこだわりを見せていたものの、その所為で成績を落とすことも珍しくなく、1999年に阪神へと移籍した際に、指揮を執っていた野村克也の助言から、そのこだわりを捨ててすり足打法へと変更。

大豊泰昭

大豊泰昭

それにより、一時的にではありますが、劇的に打率を伸ばすことが出来、その後の活躍に期待したファンも、多かったのではないでしょうか。

しかし、その反面で自分に合わないと思ったコーチの指導は全く聞き入れない、ストライク判定に不服があれば、球審に詰め寄り退場処分を受けるなど、どこか我の強い不器用な性格であったようです。。^^:

そんな大豊でしたが、1990年に元女優であった「笙田ひろ子」さんと結婚しています。

大豊泰昭/嫁

 二人の子宝に恵まれ、非常に幸せな家庭を築いていました。

その長女ですが、現在は宝塚歌劇団星組に所属している「ひろ香裕」さんであることがわかっています。

大豊泰昭/娘

大豊泰昭/娘

出典http://origin.daily.co.jp/

2009年3月に宝塚音楽学校を2番目の成績で卒業し、その年のうちに宝塚デビューを果たしていました。

現在2022年においても、母親譲りの演技力で、人々を魅了し続けているようです!

大豊泰昭/現在お店(大豊飯店)は閉店して潰れた?なぜ?

虎次郎
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2002年、大豊は14年間に及ぶ現役生活に別れを告げました。

中日と阪神の中軸として活躍したものの、残念ながら優勝を味わうことなく、引退することとなってしまいました。

その後、中日球団のアジア地区担当スカウトとして中日に残り、後にピッチャーとして活躍したチェンなど優秀な選手をスカウトする一方、2004年10月に中華料理店「大豊飯店」を名古屋市中区に開きます。

大豊飯店

大豊泰昭/お店

出典http://musashi.blog.jp/

しかし、お店の運営も軌道に乗り、平穏に過ごしていたはずでしたが2009年3月、大豊に難病が襲い掛かります。

「急性骨髄白血病」

血液のガンを患ったことで入院。

闘病生活を余儀なくされ、その後は入退院を繰り返すことになります。

2010年3月に、実の妹から骨髄移植を受けるものの、その後は病魔に侵された体力が戻らず、2011年3月26日、7年間経営してきた中華料理店を閉店することになりました。

しかし、閉店と言っても完全に閉店したわけではなく、岐阜県海津市へと新店舗「大豊ちゃん」としてオープン。

ただ、経営者としてではなく体力的な面も考慮されて、雇われ店長という形となり、経営はスタッフに任せていたようです。

大豊泰昭/お店

そのお店も、大豊が死去した後の2015年6月5日に閉店。。

「一時的に閉店し、その後再開する」

とウェブサイトでは表記されていましたが、結局は再び開店することはなく、跡地は既に別店舗が利用しているようです。

ただ、そのお店は現在でもイベント時限定でで出展されており、白血病治療のための骨髄バンクへの登録などを呼びかける、慈善活動を行っているようです。

大豊泰昭は再婚?結婚した嫁(妻)は美人だった!

虎次郎
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大豊は1990年、元女優であった笙田ひろ子さんと結婚をしていました。

引退後、お店を切り盛りする傍ら、中日ドラゴンズのアジア方面担当スカウトとして、多忙な日々を送っていた大豊ですが、奥さんとの仲は非常に良好であったようです。

大豊泰昭

二人の娘さんにも恵まれ、長女は現在も宝塚歌劇団の男役として活躍している、ひろ香裕であることもわかっています。

しかし、大豊の奥さんの名前を見ると、「百合子」さんという一般人の方の名前も同時に出てきます。

大豊泰昭/前妻

大豊泰昭/前妻

出典http://grandslam.publog.jp/

ということは、大豊は離婚したということなのでしょうか?

いいえ、違います。

実は、大豊の前妻であるひろ子さんとは、死別していたのです。

2005年12月の雪の多い日、大豊は奥さんとともに高速道路で渋滞に巻き込まれてしまい、立ち往生していたようです。

その車内で、ひろ子さんは心筋梗塞を起こしてしまい、帰らぬ人となってしまったのです。

更に、2009年には大豊自身も、急性白血病を患うことになり、生死の境をさまようこととなります。

そんな折、経営していた中華料理店の常連であった百合子さんと2012年に再婚を果たしています。

大豊泰昭

闘病の傍ら、店頭で名物であった餃子を焼く大豊を、献身的に介護する、非常に素敵な方であったようです。

2015年、大豊が白血病にこの世を去った後も、百合子さんは暫くはお店を切り盛りしていたようですが、同年6月に大豊ちゃんも閉店。

その後は情報はありませんが、娘さんとともにゆっくりと過ごされているのでしょうね。

大豊泰昭が退場!眞鍋球審とのガチバドルがヤバかった!

虎次郎
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それは、2000年7月20日の伝統の一戦の事でした。

出典https://www.youtube.com/

阪神は3回までに3点のリードを奪われるものの、その裏に1点を返し、なおも1アウト1,2塁の追撃のチャンスを作り上げます。

ここで打席に立ったのは、クリーンナップを任されていた大豊でした。

サウスポーの二年目、高橋尚成が投じた3球目は、大豊のひざ元低めでギリギリのボールとなり、テレビの前で見ていたファンは間違いなくボールだろうと確信したでしょう。

しかし、球審・眞鍋勝巳は右手を上げてストライクのコール!

大豊泰昭/退場

大豊泰昭/退場

打席に立っていた大豊はその判定に不服そうな顔をして球審に詰め寄り抗議します。

しかし、野球のルール上ストライク判定の抗議は認められておらず、その判定が変わることはありません。

それに納得できない大豊は打席に戻らず、徹底抗議の構えを見せました。

ヘルメットをとり、バッターボックスへ戻るように促されますがそれを拒否。

ここでプレーは中断されるかと思いきや、眞鍋はなんとプレー再開をコール。

さすがの高橋投手も困惑し、牽制の構えでお茶を濁しますが、それでも球審はプレーを続行モード。

このまま試合が止まることは避けたかったのか、高橋はここで完全に投球モードへと切り替わります。

その直後、大豊は球審に向かってタイムを宣言。

タイミング的には完全にコールが通っていたようにも見えましたが、高橋のストレートはど真ん中ストライクとなり、大豊は見逃し三振に倒れてしまいます。

先ほどのチェンジアップの判定も合わさり、大豊はここで堪忍袋の緒が切れたのか、眞鍋を小突いて猛抗議。

これが暴力行為とみなされて、即刻退場を宣告されてしまいました!

実はこの行為、ストライク判定を不服とした大豊のほうに問題があるという意見があります。

プロ野球のルールには、「バッターがボックス内で打撃姿勢を取ろうとしなかった場合、球審はストライクを宣告する」という規定が定められています。

大豊泰昭

大豊泰昭

今回のこの動画に照らし合わせてみると、眞鍋は大豊に対し、バッターボックスに戻るように促されています。

それでも戻らなかった大豊を見て、眞鍋はプレー再開を宣言。

ルールに沿ってみれば、眞鍋のほうが理にかなっていることが伺えますね。。^^:

とはいえ、3球目のチェンジアップ・・あれは完全にボールだと思うので、大豊が怒るのも無理はないかもしれません。。

野球界には「ジャンパイア(巨人に有利にゲームを進めようとする審判を示す造語)」という言葉もあるので、どちらが悪いのか、という言い争いは不毛になりそうなので、止めておきましょう^^:

ぶっちゃけ大豊泰昭と阪神とのトレードは正解だったのか?

虎次郎
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1997年、中日は本拠地を慣れ親しんだナゴヤ球場から、ナゴヤドーム(現在のバンテリンドーム)へと移しました。

球場よりも広くなり、フェンスも以前と比べて格段に高くなったナゴヤドーム。

知っての通り、長打が出にくいナゴヤドームでは、大豊は持ち前の長打力を発揮することが出来ず、極度の不振に陥ってしまいます。

大豊泰昭/トレード

球団は広いナゴヤドームに対応するために、守備・機動力を重視したチーム作りに着手したことで、大豊は二番手捕手であった矢野燿大とともに、関川浩一久慈照嘉との交換トレードで、阪神へと移籍することになりました。

当時、暗黒時代と言われていた阪神にとって、長打力が魅力の大豊の存在は、非常に貴重だったのかもしれません。

しかし、前年度から続く不振により成績が低迷してしまい、5月末からは主に代打として起用されるようになりました。

シーズン後半には持ち直し、1999年から指揮を執った野村勝也から打撃のアドバイスを受け、打撃が一時期は上向くものの、2000年からは再び低迷。

大豊泰昭/野村克也

大豊泰昭/野村克也

規定打席には到達できなかったものの、ホームラン23本、長打率.512と持ち前の長打力は衰えることはありませんでしたが、打率は.241と確実性にかけ、その年に行われた更改の場で、30%の大減俸を受けることに。

それに納得できなかった大豊は、阪神を自由契約となり、チームから去っていくのでした。

同じようなトレードでは石嶺和彦や松永浩美なんかも似たような事例でしたね。。^^:

主に代打起用となりましたが、その持ち前の長打力は当時、貧打にあえぐ阪神にとっては貴重な戦力であった可能性は高いでしょう。

特に、1999年から2年間とはいえ、「一番忘れたい黒歴史」と野村克也が語っていたように、3年連続最下位という暗黒時代絶頂期であった阪神。

少なからず、大砲という存在は、当時の阪神において戦力になっていた可能性は高いと思われますが、トレードが正解であったかどうかというのは・・・主観になってしまいますので判断は任せたいと思います^^:

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