【阪神】田中秀太の今現在はスカウト業!横田&梅野の才能発掘と年俸成績をリサーチ!

阪神選手90年代
虎次郎
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今回は田中秀太の現在はスカウト業?今の阪神で活躍する梅野や引退してしまったが期待大だった横田を発掘したスキルなど生涯年俸や成績をチェックしていきたいと思います!

田中秀太の今はスカウトとして現在も球団をサポートする業務についています。

通算成績や年俸は1軍レベルでは思うような結果を挙げる事はできませんでしたが、横田や梅野を発掘した能力は秀でたモノがあると言えるでしょう。

今回はそんな田中秀太の全盛期や現在の仕事ぶりを見ていきたいと思います。

田中秀太の今現在はスカウト業!

虎次郎
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珍プレー好プレーでおなじみとなりつつある、阪神の元・正ショートであった田中秀太

出典https://www.youtube.com/

プロ野球に入団したのは1996年ですが、1998年まではほとんど出場機会がなく、1999年の広島カープ戦でサヨナラ打を打って以降、2番打者として定着していきます。

2001年、当時の監督であった野村克也が命名した「F1セブン」の一角に名を連ねる予定だったのですが、同年は藤本敦士沖原佳典ら新人が多数起用されたために、成績を落としてしまいます。

田中秀太 スカウト

ユーチューブに一緒に写ってるのは共に戦った片岡篤史ですね^^

2003年には全試合にベンチ入りを果たし、無失策を達成、守備職人として阪神の優勝に貢献しました。

しかし、優勝した特別番組で赤星憲弘や藤本と出演した際に「入団してすぐに優勝、如何ですか?」という質問に対し、1995年から入団していた秀太は「ボク、長いこといるんですけどねぇ・・」と苦笑し、笑いを誘いました^^

しかし、2004年以降は出場機会が減少の一途をたどり、一時は球団にトレードを直訴、ダイエーが獲得に動きましたが、結局は残留ということで、阪神に留まります。

ですが、その後は守備固めでの起用も少なくなっていき、結局2009年の2軍戦最終戦が引退試合となり、引退セレモニーで代名詞ともいえるであろう、ヘッドスライディングをファンに披露しました。

引退後は球団職員へと転身、永尾泰憲さんの後任として九州地区担当スカウトに就任。

田中秀太 スカウト

第92回全国高校野球選手権大会の第一回戦を新人スカウトの目で評価したコラム「走れ!秀太」を連載していました。

しかし、そんなスカウトの仕事も2021年までで、その年からは二軍内野守備将類コーチへと就任、「横田慎太郎のような選手を育てたい」と、コーチ就任時に抱負を述べています。

横田さんと言えば、あの奇跡のバックホームが有名ですが、スカウト時代の秀太さんが視察から入団交渉を担当した選手でしたので、思い入れもあったのかもしれませんね。

田中秀太は横田慎太郎と梅野隆太郎の才能を発掘した

虎次郎
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2009年に引退した秀太は、その年以降から2021年まで九州地方を担当するスカウトとして、チームの補強に尽力しています。

その目で視察した選手の交渉までを担当していますが、その面々を見てみると非常に有能なスカウトであったことが伺えます。

田中秀太 スカウト

2016年に久しぶりに生え抜き選手としてシーズン20本ホームランを達成した中谷将大、ソフトバンクへとトレードされ、その才能を開花させた松田遼馬などなど、現在でも一軍で活躍している小川一平選手も、秀太さんがスカウトした選手の一人です。

しかし、忘れてはならない選手が二人います。

一人は、脳腫瘍に侵されながらも、最後の最後で神様が暮れたとしか思えない、奇跡のバックホームを見せた、横田慎太郎です!

横田慎太郎

2013年にドラフト2位で入団し、金本知憲監督がその才能を見出してドラフト1位、髙山選手とともにフレッシュ1,2番コンビとして、超変革の代名詞として活躍するはずだった選手です。

本当に残念なことに、病に侵されその選手生命を断たれてしまいましたが、最後のバックホームに感動した人も、多いのではないでしょうか。

そしてもう一人は、現在でも1軍で活躍している捕手、梅野隆太郎です!

梅野隆太郎

梅ちゃんウォールや、梅ちゃんバズーカなど堅守強肩で知られている梅野も、秀太がスカウトした選手の一人なんですね。

こうしてみると、秀太さんはかなり優秀なスカウトであったのは、間違いなさそうですね。

田中秀太の生涯年俸&成績をリサーチ

虎次郎
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田中秀太は、1994年のドラフト会議で、阪神から3位指名を受け入団しました。その当時、背番号6を付けていた和田豊にあこがれを抱いていた事から背番号を60を選びました!

出典https://www.youtube.com/

しかし、入団後しばらくはほとんど一軍での試合では出番がなく、1996年にはアメリカのルーキーリーグに野球留学、スイッチヒッターとして練習を積みます。

2000年には8番ショートとして開幕戦のスタメンに名を連ねますが、エラーが多く近鉄から移籍してきた吉田剛との併用で出場していました。

2001年には、当時の監督であった野村監督の方針であった機動力重視のチーム作りのために召集された「F1セブン」の一員…に、なるはずだったのですが、党の野村監督が秀太の存在を忘れてしまっていたため、急遽「F1エイト」に訂正^^:

しかし、同年は新人であった藤本敦士や沖原佳典が起用されていたことにより、結局ほとんど出番がなく、2002年に背番号を00に変更し、再起を図ります。

田中秀太

そして2003年、日本ハムから田中聡三が移籍したことにより、登録名を「秀太」に変更、藤本さんがショートのレギュラーとして定着してしまったため、ベンチスタートとなりますが全試合に一軍として定着、主に守備固めで起用されましたが、無失策でシーズンを終え阪神を18年ぶりの優勝に導きます!

同年に組まれた特別番組で、藤本さんと赤星憲弘さんとともに出演、新人であった二人に対し、1994年から入団し、9年目のシーズンであったのですが初めての優勝であったことで、優勝の味はどうだったかという質問に対し、「僕、長いこといるんですけどね・・」と苦笑する場面もありました。

しかし、2004年以降は守備固めとして起用される一方となり、8月21日のヤクルト戦で放った本塁打が、そのシーズン唯一の安打となりシーズンオフには起用方法の不公平さを訴え、球団にトレードを直訴します。

しかし、ダイエーが獲得に動いたものの結局は残留となり、翌年もショートとしての出番も少なくなる事となりました。

更に、2007年には鳥谷敬の台頭もあり、ショートを守っていた藤本が守備固めに回されたことで二軍生活を余儀なくされ、一軍に登録されたのは9月下旬のこととなりました。

シーズン終盤だったのですが、鳥谷の故障により、その年の10月1日のベイスターズ戦でおよそ4年半ぶりのスタメン出場を果たします。

しかし、長い時間一軍の出場がなかったせいかその守備には全盛期の切れはなく失策を連発。。

田中秀太

先発投手であった下柳剛が、怒りのあまりグラブを叩きつけるシーンは、非常に有名なところではないでしょうか^^:

そして2008年にも主に代走や守備固めで起用。

4年連続で無安打でシーズンを終え、2009年の9月18日に引退を表明、二軍戦最終戦が自身の引退試合となり、引退セレモニーで、全力疾走でヘッドスライディングでホームへと駆け込むパフォーマンスで、シーズン最後の有志を飾りました。

そんな田中秀太ですが、現役生活でどのような成績を残したのでしょうか。

田中秀太 通算成績

やはり、併用や守備固め、代走などで供されていることが多かったので、打席数などは少ない印象がありますね。

打率などもそこまで秀でたものではないですし、やはりあまり出場機会に恵まれなかったのが痛かったでしょうか^^:

もし、これでダイエーにトレードされていたら、もっと成績が伸びていたかもしれませんね。。

次に、年俸ですが…これではあまり期待できないかもしれませんね。

田中秀太 通算年俸

そこまで高年俸というわけではありませんが、そこそこというところでしょうか。

やはり入団してから6年間は出場機会がなく、年俸もほぼ最低水準でしたが、2000年にショートの準レギュラーを獲得し、その後も代走野手部位固めとして一軍に帯同していることが多くなったので、年俸もそのころからかなり増えているみたいですね。

しかし、繰り返しになりますが、もしもダイエーにトレードされていたら、もしかしたらもっと活躍できたのではないか、という疑問がわいてしまいます。

もっとも、そうなると2007年の名シーンは生まれていなかったかもしれません。

田中秀太/コーチ時代の評判は?

虎次郎
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2021年からは、阪神の二軍守備走塁コーチとして就任した田中秀太!

ここ数年、阪神は守備においては阪神は失策数がリーグワーストを記録しておき、2021年まで4年連続でリーグワーストのエラー数を記録しています。。^^:

そんな守備の強化を託されたのが、守備固めとして阪神に在籍していた秀太でした。

しかし、有能かどうかではなく、別の理由でその就任に対してファンからがあまり歓迎されていないようです。。

その理由とは、田中秀太のスカウトとしての有能さです。

中谷将大や横田慎太郎、小川一平選手や梅野隆太郎選手など、非常に有能な選手をスカウトする、有能なスカウターなのです。

そんな秀太なら、守備コーチにするよりもそのままスカウトとして球団に所属していてもらったほうが、チームとしてプラスになるのではという意見がありました。

確かに、一軍で活躍している選手を多数スカウトしているのでその意見は一理あると思いますね。

F1セブンの中では野村克也に最も期待されていた・・?

虎次郎
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2001年、当時の野村克也監督は広い甲子園に対応するために機動力を重視するチーム方針へと転換、足の速い選手を7人集め、「F1セブン」という愛称で親しまれたチーム作りを提唱しました!

しかし、その際に一人、存在を忘れられた選手がいました。それが、田中秀太です。

「あまり足が速くなく、ただの語呂合わせとして入れられた沖原佳典よりも足の速い秀太を入れたほうがいいのではないか?」というコメントもありました。

田中秀太

野村監督も、存在を忘れていた秀太を含め、「F1エイト」として訂正しましたが、そのシーズンは藤本敦士や沖原を起用し、秀太をある意味干していました…。

なお、他にも情報を確かめてみましたが、2002年に星野仙一が新たに監督として就任するまで、結局秀太は使われることなく、守備固めとしてベンチスタートが主な主戦場となっていました。

どうやら、やはり忘れられる存在であった秀太は野村さんからは、あまり期待されていなかったように思いますね…。

ただ、スカウトとしての彼はかなり優秀なので今後もますます目が離せないですね!

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