【球種&球速エグかった!】小山正明の年俸が当時スゴかった!?

阪神選手60年代
虎次郎
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今回は元阪神の小山正明の球種や球速、当時の年俸や経歴、出身高校大学など学歴をリサーチしていきます!

小山正明さんが阪神の投手で投げていた頃は今の時代とは違い球種や球速は今日のほうが多彩と言っていいでしょう。

もちろん、年俸も全く違う時代ですからいかに今のプレイヤー達が恵まれてるかがわかると思います。

そんな伝説の大投手でもある小山正明さんの経歴や生い立ち、学歴からピッチングスタイルまでを見ていきたいと思います。

小山正明の経歴&学歴(高校大学)を調査!

虎次郎
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それでは、小山正明さんのことを調べていこうと思います!

小山正明さんは、1934年の7月に、兵庫県明石市で産声をあげられたようですね。

小山正明

なるほど、兵庫県と言えば阪神タイガースの本拠地である、甲子園球場がある場所ですね!

すでにこの時から、阪神タイガースに入団することはほぼ決まっていたということになるかもしれませんが、これは関係ないですね。

何しろ、現楽天のマー君もまた、元々は兵庫県出身で、しかも阪神ジュニアというリトルリーグに入団していたという経歴があるのです。

しかし、今や楽天イーグルスの神の子…うーん、もったいない。

失礼、話が逸れてしまいそうになりました。

小山さんは、当時はまだ女子高から共学にシフトチェンジしたばかりの高砂高校へと入学します。

小山正明

小山正明

当時、まだ設立されたばかりで野球部としては全くの無名である高砂高校ですが、小山少年はどうしても野球がしたかったのかもしれませんね。

高校3年生になった秋、進学を進める父親に頼み込み、当時は「大阪タイガース」という名前だった阪神タイガースの入団テストを受けることになりました。

それと同時に太洋松竹ロビンスという、なんだか聞きなれない球団の入団テストも併用して受けていたようです。

太洋松竹ロビンス…なんじゃそら?と調べてみたら、なんと今の横浜DeNAでした。

しかし、この球団の入団テストはどうやら選手方になるということで、不合格になってしまいました。

しかし!

入団テストから5か月後、ついに大阪タイガースに練習生として入団することが決まったのです!

ここから、精密機械と称された小山さんの野球人生が始まったわけですね。

小山正明の球種は今で言う何種類ぐらいあったのか?

虎次郎
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プロ野球のピッチャーと言えば、やはりその多彩な変化球も魅力の一つだと思います。

出典https://www.youtube.com/

切れのあるスライダー、突然視界から消えるフォーク、打者のタイミングを狂わせるチェンジアップなどなど、いまの子供たちにはパワプロやプロスピなんかでおなじみの変化球ですが、その変化球で打者が空振りをし、悔しそうにベンチに下がっていく。

それこそ、ピッチャー冥利に尽きるのではないか!、と思います。

その小山さんの変化球の種類ですが、まず、ストレートは当たり前ですね。まっすぐズバンっ!とミットに納まるあれです。

小山正明

さらに、小山さんは右投げですので、空振りをとるためのカーブやスライダーも習得していたようです。

しかし、具体的にはこの3種類だけで活躍できるほどプロの世界は甘くはない模様です。

そりゃそうですよね?プロ野球を見てきた私は、せめてあと1種類は欲しいと思ってしまいます。

どんなピッチャーでも、ストレートだけではどうやっても必ずタイミングがあってくるものです。

ゲームでもそうでしょう、ストレートばかりではその内、ガツーンとやられてしまいます。

実際、小山さんが活躍した1960年代というのは、おそらく誰しも名前だけは聞いたことがあるであろう、長嶋茂雄と王貞治のコンビ、通称「ON砲」が活躍した時代でもあるのです。

なので、小山さんは模索しました。

この二人、特に王さんを抑えるために何かいい球種はないものかと?

ナックル(所謂無回転のブレ玉)やフォークボールを試し、アメリカの雑誌を読み、小山さんはついにパームボールを習得しました。

え?パームボールとは何かと?

小山正明 パームボール

小山正明 パームボール

パームボールとは、掌でボールを滑らせることによるスロー気味で回転の少ない変化球で、天候や風にも左右されやすい、ナックルとはまた違った変化球です。

その変化球を習得した小山さんは、見事1963年のシーズンには王貞治から一本のホームランも打たれなかったのです!

小山正明の球速がエグかった!大谷翔平レベルだった?

虎次郎
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あなたはおそらく、ストレートの球速が150キロ行けば速いと思うでしょう。

出典https://www.youtube.com/

先発に限っての話ですが、普通はストレートの球速が140キロ後半あればやや早い、150キロを常時投げられるような先発ピッチャーならすごい!と思います。

そして、あのメジャーリーガーに渡った大谷翔平。

彼は常時160キロに迫るストレートにコントロール抜群のフォークやスライダーを兼ね備えた、球界屈指の”怪物”が、きっと歴代最強と言われるでしょう。

小山正明

しかし、名球会チャンネルというYouTube番組でゲスト出演されたとき、小山正明さんはこのように言っています。

「常時160キロは出ていた。」と。。^^:

いやいやちょっと待てよ。。

言っては何ですが、当時の日本人の体つきと現代の日本人の体つきでは、少しばかり差が開いているとおもうんですよ。

参考までに、大谷翔平さんは身長が193㎝、体重が95㎏(Wiki参照)です。

たしかにこの身体なら、160キロの剛速球を投げられるのは納得ですね。

対して、小山さんは身長183cm、体重73㎏。

大谷翔平さんよりも、一回りくらい小さいわけです。

小山正明

出典https://kusayakyuu.site/

こんな彼が、常時160キロの剛速球を投げていたとか、ちょっと可笑しいと思いますよ、私は。。もしも、もしもですよ?

小山さんが大谷翔平さん暗い身体が大きかったら、いったいどれだけの速い球を投げられていたんでしょうか。

いやはや、さすがレジェンドと言われるだけの大投手なだけありますね。。ヤバいです。。

小山正明が「精密機械」と呼ばれた理由がヤバい・・

虎次郎
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まだ、練習生やバッティング投手として所属していた小山さんはそこまでコントロールのいいピッチャーではなかったそうです。

183cmという、現代のピッチャーにしては平凡、だけど当時のピッチャーにしては恵まれた体格というだけで、コントロールもそれほどではなく、ただ大きい身体が目立つ、というだけのピッチャーだったそうです。

小山正明

小山正明

そんな彼が、日本一のピッチャーになった理由はただ一つ。

「来る日も来る日もバッティング練習を行い、投球練習を続けてきたおかげ」(松木健二郎監督談)

その美しいと言われていたフォームのおかげで、小山さんは「一度も肩を痛めたことがない」という伝説も持ち合わせているようですね。

聞いた話ではありますが、ピッチャーにとって肩と肘は消耗品であり、いつか必ず壊れるということだそうです。

そんな消耗品であるはずのピッチャーの肩なのに、一度も痛めたことがないというフォームとは、恐れ入りますね。

ここ最近のピッチャーは、必ず登板した後は肩にアイシングを巻いて保護しているのをよく見かけますが、其れすらおそらくなかった当時。

小山正明

以前の監督である金本さんや、鉄人と言われた故・衣笠さんに比べても、謙遜のないほどの鉄人だったのではないでしょうか。

そんな鉄人な小山さんですが、実は敵はバッターだけではなかったようです。

主審によってストライクゾーンが違う、というのは有名な話ですが、それはどうやら当時からだったようです。。^^:

なので、小山さんの投球は必ず最初は、ボール1個分ほどゾーンから外して投げていたそうです。

まあ、これでストライクコールがあがれば楽でしょうね、私でもそう思います。

何しろ、阪神には超がつくほどのノーコンピッチャー(藤○)がいますからね、誰とは言いませんが(笑

そして、2球目にはそのボールを半分だけゾーンに入れて投げてみるようです。

これを狙ってやれるというだけで、小山さんがどれだけ精密なコントロールが出来たのかという証明になるのではないでしょうか?

精密がゆえに、小山さんはこう語っていたそうです。

ストライクを取ることはアマチュアのやること。俺は一球で打者を打ち取ることを考えていた。

と・・

そんな、コントロールに関して自信に満ち溢れている小山さん。

そんな彼に、クレームをつけられる主審は、後になって「あれ?、実は間違ってたのかな・・」と錯覚してしまうこともあったそうです。

小山正明の年俸が当時どれほどだったのか?意外に低い?

虎次郎
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そんな小山さん、さぞかしいい年俸をもらっていたんでしょうね。安月給で働いている私にしてみても羨ましい話です、さてどんな年俸をもらっていたんでしょうかね?

それを語る前に、まずその当時の大卒の初任給はおよそ1万円ほどだったということを前提にしておきましょう。

今の貨幣価値に換算すると、およそ40倍ということですので大体3~40万円ほどでしょうか?

そんな時代、小山さんの入団時の月給はおよそ5000円だったそうです。。^^:

小山正明 年俸

小山正明 年俸

今の貨幣価値にしてみると20万弱ということなので、年間で大体240万ほどでしょうか?

育成選手並の契約だったみたいですね、最初はバッティング投手から始められたということで、こんなものなのでしょうか。

更に、活躍した1958年ごろ、小山さんの年俸は約2000万だったそうです。

小山正明 年俸

当時の価値に換算すると、およそ8000万ほどでしょうか。

これは、現在の2022阪神の選手で言えば糸原健斗や、糸井嘉男と同じ金額になりますね^^

こう見ると、そこまで高いとは言えないかもしれませんね、何しろ上を見上げればもっともっともらっている選手はごまんといるわけですから。

とはいえ、最初の240万からしてみたら、相当上がっているのは間違いありませんね。

最初はテスト入団、バッティング投手から始まった小山さんがここまでのし上がるとは、その当時の誰が予想したんでしょうね^^:

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