『嫁(奥さん)は静子!』小林繁&さんまと関係!性格は金遣い荒かった?

阪神選手80年代
虎次郎
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今回は小林繁が結婚した嫁(奥さん・妻)は静子さんと言う名前で、さんまとの関係も意味深、性格的には金遣いが荒かった小林繁の人生をピックしていきます!

小林繁さんと言えば阪神のエースでしたが、その生き方がかなりワイルドでもありました!

嫁は3回交代で、現在の奥さんは静子さんと言う方で今でもご建材なのか気になるところです。

彼とさんまの意外な関係や、その性格が災いして色んな武勇伝をかました彼の生き様を早速チェックしていきたいと思います!

小林繁が結婚した妻(奥さん)は静子!今もご健在?

虎次郎
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71年、ジャイアンツにドラフト6位で入団した小林繁さんですが江川卓とのトレードで阪神に移籍しています。

小林繁

小林繁

2010年1月、日本ハムの一軍投手コーチに任命され、これから新シーズンに向けて準備を進めようかという時でした。

福井市内の自宅で、背中の痛みを訴えた小林さんは福井県立病院に搬送、しかし病院についたときは既に心肺停止状態で、そのまま帰らぬ人となってしまいました。

江川事件の際にトレードで阪神へと移籍し、1年目に自己最高となる21勝を挙げ、83年に引退するまで、阪神の先発の柱としてローテーションを守り続けました。

小林繁

沢村賞、ベストナイン、最優秀投手、月刊MVPと数々の賞を受賞し、またキャスターや解説者としても活躍、プロ野球ではコーチも務めたこともある小林さん。

しかし、その私生活はあまり、褒められたものではなかったようです。。

74年、小林さんはプロ入り前から交際していた女性と結婚されました。

「博子」さんというお名前で、とても献身的に、小林さんを支えておられたようです。

元々は、プロ入りと同時に結婚する予定だったようですが、読売の監督であった川上さんから、「今は野球に打ち込んでおけ」とアドバイスをもらい、1年だけ結婚を遅らせたようです。

小林繁 嫁

小林さんがドラフトで獲得されたのは72年のことですから、その時もきっといろいろと忙しかったでしょうね。

それでも、博子さんとの間には二人の子供が生まれているようですので、仲睦まじかったのは言うまでもありません。

しかし、79年、こともあろうに小林さんは浮気をしてしまったのです!

小林さんは現役時代、その甘いマスクで人気のプロ野球選手でしたので、言い寄ってくる女性は多かったようです。

そのお相手とは「藤圭子」さん、「怨歌の歌手」と異名をとる歌手の方でした。

藤圭子

出典https://www.jiji.com/

江川事件の際、阪神へとトレードされることになっていた小林さんですが、その奥さんである博子さんに対して、「トレードで出さないでください」と電話があったそうです。

これにより、小林さんの浮気が発覚、奥さんの博子さんは子供を連れて実家に帰ってしまったのです。

それが1月のキャンプ前だったということもあり、小林さんは「宮崎についてから電話をする」、と伝えたそうですが、その直後に江川事件が勃発、結局電話をすることが出来ずに、82年に離婚が成立しました。

空白の1日・江川事件の真相▼

小林繁 空白の1日

小林繁 空白の1日

江川事件

出典https://www.youtube.com/

それから10年後、92年に2回目の結婚をした小林さんですが、その際の相手は「久美子」さんというそうです。

93年にフランスへと留学し、日本人として初めて三ツ星レストランで1年間の料理修行を経て、95年に帰国を果たしました。

小林繁 奥さん

小林繁 奥さん

出典https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/

ただ、小林さんとの結婚後、すぐにフランスへと旅立ったので、事実上の別居婚、と言われています。

ただ、そのような夫婦スタイルであったそうですが、決して中は悪くはなく、2001年には久美子さんが出版した「人生はスタイリッシュ―女を磨く三ツ星レシピ」の中で、小林姓を名乗り、プロフィールに「小林繫と結婚」と明記されています。

小林久美子

出典https://books.rakuten.co.jp/

しかし、この奥さんとも事実上離婚しているそうですが、その時期は明確には去れていません。

しかし、理由として可能性が高いのは、小林さんの借金・および自己破産が原因ではないか、と言われています。

社長令嬢であった奥さんの実家が借金の肩代わりなどをされていたようですが、それでも返しきれなかった借金なのでしょうね。。

静子は内縁の妻?

虎次郎
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2008年に3人目の奥さんを娶っているようですので、それまでには婚姻関係は破棄されている、と考えてもいいでしょう。

ネット上の噂では、まだ離婚は成立しておらず、実は3回目の結婚は内縁状態ではなかったか、という憶測があるようです。。

そして、その3回目の結婚ですが、奥さんの名前は「静子」さん。

小林さんのお葬式の時に、喪主を務められた方でもあります。

小林静子

小林静子

出典https://www.sponichi.co.jp/

小林さんがゴルフ場の支配人であった際の受付嬢で、その年の差は何と26歳!

親子ほども離れている方を奥さんに……。

しかも、交際期間は2001年から7年間というのですから、2番目の奥さんとの婚姻期間と被るんですよね…。

小林さん、また浮気をしていたということでしょうか。。^^:

小林繁

小林繁

静子さんは、小林さんとの生活を始めるために、2000万のローンを組み、マンションを購入されているようです。。

亡くなった場所が福井県ですので、おそらくこの時に倒れられたのは、自宅ではないでしょうか?

女性関係にはあまり真面目さを感じられなかったとはいえ、やはり亡くなられたのはショックだったでしょうね。

小林繁とさんまとの繋がりがウケる

虎次郎
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明石家さんまと言えば、今やテレビで知らない人はいないほどの有名人です。

その明石家さんまがブレイクするきっかけを作ったのが、実は小林繁さんなのは、ご存知でしょうか?

出典https://www.youtube.com/

毎日放送で放送されていた番組「スタジオ2時」の企画であった「若手漫才選手権」の中で、兄弟子である明石家小禄との漫才で、ジャイアンツの選手1番から8番までの形態模写を順番に披露、最後に、巨人のエースであった小林さんのフォームを物まねで披露したところ、これが大ヒット!

その物まねでブレイクした明石家さんまは、徐々に人気を上げ始め、76年の大みそかに「小川宏ショー」という番組に出演。

前述の形式模写で同年に活躍したスポーツ選手の物まねをするというネタでしたが、これがさんまさんにとって初めての東京での仕事となりました。

小林繁 さんま

小林繁 さんま

その後、江川事件により阪神へと移籍した小林さんのものまねをしていたさんまも、後に読売に対し無傷の8連勝を上げるとともに、関西でもブレイクを離したさんま。

小林さんが亡くなった際、テレビ報道された際にさんまさんからの献花が移っていたので、やはり気にしてはおられたのでしょう。

小林繁の性格は金遣い荒かった?なぜ借金まみれに・・

虎次郎
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2003年、小林さんは一度自己破産申告をしています。

かなり大きな借金を抱えられたということなのですが、いったいどんな理由があったのでしょうか。

小林さんは、解っているものだけで見ると80年から83年までの間に、平均3400万円の年俸がありました。

小林繁

更に、江川事件で支払われた功労金3000万に加えて、巨人の選手であった時の年俸も含め、約2億円ほどを、現役生活で稼いだことになります。

その資金を頭金に、高級クラブや飲食店、さらに同僚であった川藤幸三からの紹介で勤めていたゴルフ場の支配人業務なども行っており、その総資産はかなりのものがあったようです。

しかし、95年、川上哲治という人から、かつて日本に存在した政党である「さわやか新党」の候補者として、参議院選挙に立候補するよう要望を受けました。

小林繁

それを快諾した小林さんは、当時の奥様(再婚された2番目の奥様久美子さん)の援助も受けながら比例区第一位として立候補。

しかし、結果は落選、しかも党の獲得票が1%に満たなかったため、その資金はすべて自己負担になってしまったのです!

供託金は没収され、広告費用は自己負担、総額10億ほどの負債を抱えることになってしまったのです。

立候補するために、小林さんは受け持っていたテレビ出演などをすべて降板しており、経済的なダメージは計り知れなかったようです。。

バブル経済の崩壊も相まって、前述の高級クラブや飲食店経営、不動産関係の収入は軒並み落ち込み、10億のうち6億ほどのお金は返済できたようですが、およそ4億という途方もない借金を抱え込んでしまうのです!

返済能力を失った小林さんは自己破産を申請、懇意にしてもらっていた川藤さんからの紹介であったゴルフ場支配人業務も辞めざるを得なくなり、近鉄のコーチも辞任してしまいました。。

その後は福井県に戻り、3番目の奥さんのマンションで生活しながら、少年野球の監督をしていました。

しかし、2009年に日本ハムのコーチに就任しています。

小林繁は「亜紀子」など歌手としても才能があった!

虎次郎
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79年、阪神に移籍した年に、小林さんは歌手デビューも果たしていました!

いや、小林さん何をしているんですか?と、当時のファンは嗤っていたのが目に浮かびます…。

出典https://www.youtube.com/

ディスコグラフィで売り出した「亜紀子」というタイトルの歌が発売され、まさかのオリコン最高41位という記録を叩き出しました!

1か月で10万枚という枚数を売り上げたのですが、この大半を買ったのはもしかしたら、宿敵・ジャイアンツに無傷の8連勝を飾った、小林さんを応援する阪神のファンだったのでしょうか…。

他にも、「昨日の女」「まわり道」「しのび逢い」「ゆれて赤坂ナイトパブ」と、4枚のレコードを世に出している小林さん。

小林繁 亜紀子

もしかしたら、引退後に正解出馬ではなく、歌手としての道もあったかもしれませんね。

そういえば、阪神でも依然、六甲おろしをカバーした助っ人外国人がいたような…?

小林繁が掛布を激怒させた「阪神に伝統がない」の真相は?

虎次郎
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ミスタータイガースと呼ばれ、85年の日本一の立役者である掛布雅之。

その彼を、小林さんは一度激怒させたことがあるのです!

小林繁 掛布雅之

小林繁 掛布雅之

79年、江川事件により阪神へと不本意なトレードを締結され、移籍してきた小林繁さん。

その移籍後、阪神ナインに向かって、小林さんはこう言いました。

阪神には歴史があるが伝統はない。巨人にはその伝統がある。

掛布さんはその時、

コイツは何を言ってるんだ・・

馬鹿にされたようで、すごく腹が立った――。

掛布さんは、小林さんの言葉をそう振り返り、その年にホームラン王に輝いた原動力は、「小林さんに負けたくなかったのが大きかった」、と語っています。

その当時の状況を語る掛布さん▼

出典https://www.youtube.com/

主観になりますが、掛布さんは話し方などを見て非常に温厚でありながら、負けず嫌いな性格のように思います。

負けず嫌いと言えば伝説を作ったこの人も有名です▼

しかし、掛布さんは今思えば、その言葉は「一緒に伝統を作っていこう」という小林さんなりのメッセージであったと理解し、若気の至りであったと、反省の弁も述べられています。

その小林さん自身も、読売に――ひいては、トレードで移籍していった江川さんにだけは負けたくない、その一心だったのでしょう。

読売に対して、無傷の8連勝を含む22勝を挙げ、初の最多勝利のタイトルも獲得しました。

まさに、男と男、意地とプライドをかけたぶつかり合いのエピソードが込められていましたね!

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