【落合も認めた天才】石嶺和彦(元阪神)の当時年俸&打順を調査!

阪神選手90年代
虎次郎
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今回は阪急と阪神で活躍した石嶺和彦の天才的なバッティングや、落合も認めたその才能、生涯年俸&打順は適正だったのか?について見解していきます!

ホームランバッターではないのにホームランを量産した石嶺和彦はなぜ落合からも天才打者の称号を得ていたのか?

当時、全盛期の彼の打撃フォームはインコースにめっぽう強く、どの打順(クリーンアップ)を任せても本塁打を打てる才能がありました。

天才打者の前田智徳いわく、「右の前田智徳」とも言われていた石嶺和彦の打撃理論について見ていきたいとおもいます。

石嶺和彦(元阪神)は落合も認めた天才バッターだった!

虎次郎
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1986年から1993年にかけ、阪急ブレーブス打線にはとある名称がついていました。

出典https://www.youtube.com/

1970年代、メジャーリーグのレッズの打線が「ビッグレッドマシン」という名称がついていたことに従いい、チームカラーがブルーであったことから、「ブルーサンダー打線」と呼ばれていました。

その中心人物にいたのが、石嶺和彦です!

1986年、1987年と連続でホームラン30本を達成するなど、非常に長打力の高いバッターでした。

石嶺和彦/阪神

本来、ホームランバッターは身体が大きくパワフルな選手が多いのですが、石嶺は身長174㎝、75kgと現役選手の中では非常に小柄です。

しかし、バットにボールを載せる技術に秀でていた石嶺は、腕力がなくてもボールをバットで運ぶことが出来たので、狭い球団でならホームランが打てたのです。

その技術について、三冠王を3度獲得したこともある落合は

「バットにボールを載せてはじき返す技術は私が見た中では一番」

と評価。

石嶺和彦/落合

出典https://www.sponichi.co.jp/

後に、中日の監督になった際には、その現役時代の内角打ちを後世に伝えてほしいということなのか、打撃コーチとして入閣しています。

ただ、結果が伴っていた…とは、とても言い難いようで…。

現役時代に一流だったからと言っても、コーチとしても有能というわけではない、典型的なパターンだったようですね。。^^:

内角打ちが抜群だったのは天性のモノなのか?

虎次郎
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野球において、インコ―スというのは非常に打ちづらいコースです。

一番距離を取りづらく、普通に打てば詰まってしまい、よくてファールにするしかありません。

石嶺和彦/内角打ち

もっとも、長いスパンを見れば、その考えは決して間違ってはいないでしょう。

そして、「インコースの球は身体の前で打て」、というのが一般論です。

しかし、石嶺和彦はそのインコースを非常に得意にしていました。

石嶺にとって、むしろその一般論はファールになりやすいと否定的で、グリップエンドがヘッドより前にある位置まで引き付け、身体を回転させる感覚で打つという自論を語っていました。

真ん中からややインコース気味のコースを得意としており、また内角なら多少ボール気味の球でも、レフト線に打球を飛ばせる感覚もあり、内角へのシュートを武器としている投手、当時で言えば元ヤクルト、中日の川崎憲次郎のような投手のほうがむしろ得意だったようです。

ただ、その内角打ちは、練習によってできるようになったわけではなく、気づいたら出来るようになっていたそうです。

コメントでも、感覚での話が繰り返されていたので、本当に気づいたらできるようになっていた、ということなんでしょうね。

落合博満をもってして内角に関しては選手の中で一番と言わせた技術は、天性のものであったようですね。

石嶺和彦の当時年俸&成績をリサーチ

虎次郎
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1993年のシーズンオフ、同年に取得したFA権をNPB史上三例目のケースとして行使を宣言し、11月28日に、所属していたオリックス以外との交渉が可能となりました。

▼石嶺の大飛球は4分あたりから!

出典https://www.youtube.com/

年齢もあり、

「獲得する球団があるか不安だが、悔いを残したくない」

とその動機を明らかにしています。

しかし、ふたを開けてみれば、落合博満の移籍が濃厚と言われていた中日と、平野謙が退団した西武がラブコールを送り、どちらも前年と比べて1.5倍の年俸、西武に至ってはクリーンナップでの起用まで明言される好待遇を提示していました。

しかし、これに中日も名古屋に自宅の提供、引退後は中日グループの評論家として便宜を図る、とその後の生活まで面倒を見ることを条件として追加。

西武からも関東地方への転居のために3000万を別途準備することを提示、オリックスの中心人物を獲得することに、やっきになっています。

しかし、ここでさらに手を挙げたのが、阪神でした!

11月30日にパチョレックの抜けた打線を強化したい阪神の中村勝広や三好一彦球団社長と会談し、提示されたのは同じく前年比1.5倍の年俸でした。

石嶺和彦/阪神

更に、クリーンナップとしての起用を約束と、条件で見れば西武と大して差はありません。

しかし、そこで決め手になった条件は2つありました。

一つは、15年間住み続けて、宝塚市に家も購入していたことから関西から離れることを嫌ったこと。

そしてもう一つは、4万人を越える観客が押し寄せる甲子園の阪神ファンたちからの熱烈なラブコールでした。

それがきっかけとなり、最終的に阪神へと移籍することを決め、史上初めて、阪神に所属している日本人選手として1億円プレーヤーが誕生したのでした。

そんな経歴がある石嶺は、年間でこのような成績を残しています。

石嶺和彦 生涯成績

石嶺和彦 生涯成績

やはり際立っているのは、オリックス時代の成績でしょうか。

6年連続で20ホームラン、打率.270以上を達成し、1990年には打点王も獲得しています。

小柄な体であるにもかかわらず、このような成績を残せる技術は、やはりすごいものだと言えるでしょう。

次に、そんな石嶺の年俸はどのようなものだったのでしょうか。

石嶺和彦 生涯年俸

石嶺和彦 生涯年俸

打点王をとった1990年以降の年俸が、やはり高くなっていますね。

また、FAをして移籍した後の年俸もかなり上がっていますので、このあたりがピークになっているようです。

しかし、この年俸に見合った結果を残しているようなので、決して年俸泥棒、という批判は当てはまらなさそうですね^^

阪神時代の石嶺和彦の打順は適正だったのか?

虎次郎
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FA権を行使し、阪神に移籍した石嶺ですが、その際にクリーンナップでの起用を明言されていました。

ブルーサンダー打線の中心人物として活躍し、その得点力と長打力は、確かに魅力であったでしょう。

石嶺和彦

石嶺和彦

事実、移籍一年目となった1994年は全試合に出場し、チームトップとなる打点77、ホームラン17本を記録しています。

しかし、打率に至っては.246と、前年から比べると確実性は格段に下がったように思います。

翌年にはさらに成績を落とす結果となってしまい、この年にオリックスから積み重ねてきた連続出場試合記録も止まってしまいます。

石嶺和彦

初年度こそ活躍をした石嶺でしたが、やはり年齢には勝てなかったのか、最終的には控えとしてベンチスタートとなることが多くなり、1996年に引退を決意。

クリーンナップとして活躍できたかどうかは、かなり微妙なラインと言っても差し支えないでしょう。

もし、もう少し若い時期にFA権を行使することが出来たら、もう一花咲かせられた可能性も、否定できませんね。

石嶺和彦のバッティングフォームや打撃スタイルを調査!

虎次郎
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過去に、三度三冠王に輝いた落合博満は、石嶺のバッティングについて「俺と同じ打ち方ができるのは石嶺だけ」と、かつて自身が輝いた三冠王にも匹敵する内角打ちを高く評価していました。

石嶺和彦/バッティング

また、常勝軍団・ソフトバンクを指揮した工藤公康も

「厳しい内角を上手くさばいてヒットにするのは落合さんか、好調の時の石嶺さんだけ」

と、元ピッチャーである視点から、その技術の高さを評価していました。

我が阪神の中では藤田平や、田淵幸一も天性のバッティングセンスがありましたよね!

その技術を支えているのは、石嶺さんのフォームにありました。

身長174㎝と決して大柄なほうではありませんでしたが、ぎりぎりまでバットを長く持ち、腰の回転で遠心力を加えて、ボールをバットに乗せて運ぶ、というスイングは、ファンの中で「美しい」と言われるほどでした。

小柄でパワーがなく、入団当初は周りの先輩選手たちの打球を見て、自身の貧弱さにがくぜんとしたそうです。

しかし、ふたを開けてみれば1986年から6年連続でホームラン20本を達成、打率も.270以上をキープするなど、ブルーサンダー打線と言われた当時のオリックスの主力として、活躍していたのです。

バットに乗せてレフト方向へと引っ張る技術だけでなく、逆側(ライト方向)にも飛ばす技術。

それらはすべて、腰の回転が支えていたのですね!

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