【2022現在⇒監督業?】林威助/結婚や嫁子供は?年俸などリサーチ!

阪神選手2000年代
虎次郎
虎次郎

今回は元阪神の林威助(リン・ウェイツー)の2022現在は監督業をやっているのか?、結婚情報や嫁(妻)子供はいるのか?年俸や生涯成績などをリサーチしていきます!

林威助は天性のバッティングで阪神ファンを大いに沸かせた打者の1人でもありました。

今現在、彼はどこで何をやっているのか?

既に結婚して嫁や子供はいるんでしょうかね?

阪神時代の年俸や生涯成績などをコマ目にチェックしていきたいとおもいます。

林威助(元阪神)の現在は監督やってる?

虎次郎
虎次郎

名前からして助っ人外国人と思われそうな林威助ですが、阪神に入団したいきさつを調べてみると、実は2002年のドラフト会議で7位指名を受けていました。

出典https://www.youtube.com/

元々打撃に関しては、大学時代にスイングスピードが150km/hを超えてくると、プロでも一流選手と言われていますが、リンはその当時ですでに168km/hと驚異的なスピードを誇り、現在、中日で監督を務めている立浪和義からも、「もっと打てる選手」だと太鼓判を押されているほどでした。

林威助/阪神時代

しかし、その反面守備や走塁、そして選球眼に至ってはあまり芳しくないと評価されており、残念ながら阪神での現役生活において、規定到達打席に到達したシーズンはなく、2007年に濱中おさむの怪我などもあり、ようやくレギュラーをつかみかけたと思われたものの、怪我により完全に定着とまではいきませんでした。。

その引退後、リンは2018年シーズンから故郷・台湾プロ野球の中信兄弟(ジョンシン・ションディー)の二軍監督を務めました。

林威助/現在

しかし、その練習環境は決していい物とは言えなかったようです。。

そこで、リンは二軍監督に就任してまず取り組んだのは、練習設備の充実化でした。

わずか二年で、大きく練習施設を進化させたリンは、本格的に練習量を増やし「常に一軍を脅かす存在である二軍」作りに着手します。

根気強く、毎日少しずつ頑張れば結果は必ずついてくる。

そう信じて指導を行ってきたリンは、2020年からは1軍監督として指揮をする立場に。

毎試合、勝敗の行方によって心理的な重圧を感じる中でも、「プレーの細部と戦術についてしっかりと鍛える」という、日本流の緻密な野球を徹底的に実践していきたいと考えているようです^^

林威助に「結婚」のワード!嫁や子供はいるのか?

虎次郎
虎次郎

日本のプロ野球で活躍した林威助ですが、その人生の伴侶について、このように地元の台湾で貴社からの質問に答えていました。

林威助/結婚

林威助/結婚

相手もいないのにどうやって結婚するんですか?

これは、2011年に掲載された新聞の一部のようですが、阪神球団に所属している選手の家族のための休憩室にて、「選手や外国人プレーヤーの子供たちが遊ぶ場所だよ」と教えていたそうです。

その次の質問で、インタビューの際に「相手さえいればもちろん結婚したいですよ」と笑って答えていたそうです。

林威助/結婚

※嫁ではありません^^

出典https://www.nownews.com/

しかし、その記事が掲載された2011年当時、リンはまだ野球に専念したいという考えを持っていたようで、選手として全てをやり切ったと思えた時に、本格的に婚活するような旨を語っているように見えました。

しかし、台湾で所属リーグに参加している中信兄弟を引退した2017年時点でも、どうやらリンは独身を貫いていたようです。

元々、阪神の中でもイケメンの部類に入るリンでしたので、女性との交流があったのは言うまでもありません。

林威助/結婚

林威助/結婚

※嫁ではありません^^

出典https://sports.ettoday.net/

しかし、恋人と言えるような存在はいなかったようで、2022年現在でも、結婚して子供がいるという情報はありませんでした。。^^:

おそらく、まだ独身の可能性が高いです。

ただ、イケメンで通っていた現役時代ですし、日本では一人暮らしもしていたようなので、もしかしたらお付き合いをしている女性などは、いたのかもしれませんね。

林威助/阪神時代の年俸や成績チェック

虎次郎
虎次郎

2002年のドラフト会議で、阪神から7位指名を受けた林威助。

出典https://www.youtube.com/

プロにしてはやや小柄な体格ながら、その握力は驚異の90kg超え、スイングスピードもプロの平均を軽く上回るなど、その打撃センスにおいてはかなりの期待値でした。

しかし、その反面守備や走塁に関してはおざなりで、その活躍の場は主に代打となるのも仕方がなかったかもしれません。

2004年の10月に初めてスタメンとして出場し、初安打・初打点を記録。

2005年の優勝時には、ホームランも放ちチームの代打の切り札として、ベンチで待機していました。

その彼が脚光を浴びたのは、2007年のことです。

林威助

濱中おさむが怪我で離脱して以降はレギュラーに定着し、更に交流戦明けにはファーストを守っていたアンディ・シーツが不振に陥ったことでファーストとしてスタメン出場することもあったようです。

しかし、現役生活を通じて、とにかく怪我に泣かされました。。

彼と時に同じく、代打の切り札的存在だったのが葛城育郎や、八木裕ですよね^^

入団当初から思わしくなかった膝のリハビリに専念、レギュラーをつかみかけた2007年には、5月13日に右肩を痛めます。

しかし、「チャンスを逃したくない」と強行出場を繰り返したために1か月の離脱。

9月27日に一軍復帰するものの、規定打席到達にわずか4打席足りませんでした。

それ以降も、怪我や不振などが続き、2013年に戦力外通告を受け、故郷である台湾へと活躍の場を移していきました。

身体と相談しながら。NPBで10年間というプロ生活を過ごした林ですが、その生涯成績はどのようなものだったのでしょうか。

今回はNPBのみの成績ですが、グラフにまとめてみました。

林威助/生涯成績

林威助/生涯成績

続いて、その年俸も見ていきます。

こちらも、NPBの物のみをまとめてみました。

林威助/生涯年俸

林威助/生涯年俸

2007年、過去最高の試合数に出場していたこともあり、やはりその年は年俸が跳ね上がっていますね。

もし怪我がなければ、もっと長い間、そしてもっと上の成績を残せていた可能性もあるだけに、少しもったいないと感じてしまいます。

林威助は日本語がうまい!

虎次郎
虎次郎

林威助が日本に来たのは、中学を卒業してからの事でした。

2017年に引退表明をした際に、日本のファンへ向けてのメッセージをYouTubeで配信しているモノがありましたが、今でもかなり流ちょうに日本語を話せるようです^^

出典https://www.youtube.com/

元々、非凡な野球センスのある中学生がいると台湾でも話題に上っていたこともあり、日本への野球留学を勧められましたが、父親が体調不良を訴えていたために一度はその誘いを断りました。

しかし、その後もう一度勧誘を受けた際に、日本の文化に触れてみたいという好奇心もあり、林は日本へと渡航、野球強豪校である柳河高校へと入学することになりました。

ですが、入学当初はかなり苦労したようです。。

林威助

林威助

いきなり単身、日本へと渡ってきた林は日本語がわからず、周囲に溶け込めなかった上に、中学生時に比べると、はるかに厳しい練習だったということもあり、台湾への帰国を願った時期もあったそうです。

しかし、学生時代を日本で暮らすうちにその言葉はどんどん流ちょうになっていき、多少訛りは残るものの、阪神へと入団するころには、非常に流ちょうな日本語をしゃべることが出来るようになっていました。

2014年台湾リーグへと移籍した際に、あまりに日本での生活が長かったために、「むしろ故郷の言葉が少しわかりにくかった・・」、などと言うエピソードもあるようです。

高校時代から数えて、実に15年間も日本で暮らしていれば、周りに影響されるということもあり、日本語が上手くなるのも頷けますね。

ただ、どうしても中国系だと訛りなく日本語を話すようにするのは難しいらしく、独特と言っていいほどの訛りがあるようです。

バッティングは天性のモノがあった

虎次郎
虎次郎

阪神から中信兄弟にかけて活躍した林ですが、そのバッティングには目を見張るものがありました。

プロにおいて、そのスイングスピードが時速150km/hを超えれば一流と言われるようです。

しかし、近畿大学で一年春から活躍していた林のスイングスピードは、それをはるかに上回る168km/hを記録していたそうです。

林威助

2008年、7月8日に行われた巨人との一戦で、左膝靭帯を痛めたことにより離脱。

その復帰戦となる、これまた巨人戦で、当時助っ人エースだったシコースキーの直球を警戒しつつ、意表を突いたチェンジアップに対応。

ヒットにしたその技術に、当時指揮を執っていた岡田監督も「ああやって対応すればいいのか」と評価されていました。

しかし、そのポテンシャルを活かしきれていなかったようで、中日に所属していた立浪和義からは、

力があるが無駄な動きをしている。外からバットが出やすいようなので、それを修正すればもっと打てる選手

と、かなり高い評価を得ていました。

しかし、その一方で守備や走塁、そして選球眼においてはあまり評価はよくなかったようで、その出番は2007年を除き、ほとんどが代打での起用でした。。

時折、ファーストとして出場することもあったようですが、2008年以降は右肩の怪我の影響も考慮されてそれもなくなり、ほとんど代打として起用されることになっていました。

守備や走塁に難がありつつも、それを補って余りあるバッティングセンスが重宝された林ですが、現在は台湾リーグの一軍監督として日本の文化や野球を伝えているようです。

今後の活動に期待ですね!

コメント