【ジャイロがヤバい!】川尻哲郎の球種やノーヒット伝説を振り返る!

阪神選手90年代
虎次郎
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今回は元阪神の川尻哲郎が投げてたジャイロボールの裏側や、球種とノーヒットノーラン伝説を振り返ります!

川尻哲郎の先発型サイドスローの武器は何と言ってもジャイロボールですよね。

その球種は多彩で、90年代の暗黒時代からジャイロボールを投げてたピッチャーはおそらく彼だけだったような気がします。

また、同時期にノーヒットノーランも達成しており、まさに川尻哲郎にとっては歴史に名を刻むピッチャーになっています。

あなたがコアな阪神ファンであれば、確実にその歴史の目撃者になっているはずです。

早速、見ていきたいとおもいます!

川尻哲郎はジャイロボーラー!変幻自在でエグかった・・

虎次郎
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ジャイロボール、という球種をご存知でしょうか?

出典https://www.youtube.com/

今ではゲームなどで、よく耳にすると思いますが、具体的にどういうボールなのかというのは知らないのではないでしょうか?

ジャイロボールは、大きく分けてフォーシームジャイロとツーシームジャイロに分けられ、1995年にパフォーマンス・コーディネーターの手塚一志によって、その存在が指摘された、直球系の”変化球”のことです。

初速と終速の差が少なく、非常に伸びのあるストレートであるため、手元で突然、グンっと伸びてくるような感覚になり、タイミングが非常に取りにくいボールとなります。

川尻哲郎

川尻哲郎

その回転は、一番わかりやすいたとえをするならば”銃”です。

トリガーを引き、火薬の力によって撃ち出された銃弾は、ドリルのような回転をしています。

ジャイロボールの回転はこれと同じで、横回転をかけることによって空気抵抗が少なくなり、相手に向かって真っすぐ向かいます。

これにより、打者はまるで、手元で伸びているような感覚になるんですね。

かつて、阪神の川尻哲郎がこのジャイロボールの使い手でした。

ジャイロボールは非常に投げるののが難しく、あのダルビッシュですら「ジャイロボーラーなんていない」としつつ、「カットやスライダーの抜けただけの球」とその正体を説明し、松坂大輔も「カットボールがシュート回転している」と、ダルビッシュの意見に同意していました。

川尻哲郎

しかし、入団当初は140km/hを越えていた球速が年々落ちていくのに合わせて、川尻はジャイロボールを習得しています。

ほんの少し回転が変わるだけで、空気抵抗が生まれて揚力が生まれ、わずかながらに変化するジャイロボールを駆使して、川尻は暗黒期で低迷していた阪神のエースとして、長らくローテーションを支えたのでした!

川尻哲郎の球種やピッチングフォームを分析!

虎次郎
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川尻哲郎はもともと、球速140km/hを超える投手でした。

とはいえ、先発としてそのくらいの球速であれば、平均的と言わざるを得ないのですが、川尻の場合年々球速が落ちていくのです。。

川尻哲郎/ピッチングフォーム

出典https://column.sp.baseball.findfriends.jp/

とはいえ、初出場が1995年、すでに年齢が26歳であったのであれば、すでに身体の衰えがあってしかるべきなので、それは仕方がないでしょう。

しかし、川尻はそれを補うために、変化球に磨きをかけることにしたのです。

その結果、技巧派投手としての地位を確立するのです。

元々、オーバースローの投手だったのですが、大学卒業後に日産自動車へと就職。

その際に、フォームをサイドスローにチェンジしているのです。

一昔前は皆川睦雄、小林繁上田次郎など多くのサイドスローの先発投手がいました。

年々減少し、川尻の時代になると、サイドスローと言えばリリーフ投手としての起用が通例で先発として起用されている投手は、ほぼいませんでした。

川尻哲郎

唯一、元巨人の斎藤雅樹が先発サイドスローでしたが、けがのために登板数を減らしてしまい、1998年以降だと、川尻の先発サイドスローは非常に貴重であったのです。

球速は平均を下回る物でしたが、扱える投手が非常に少ないジャイロボールの使い手でした。

わずかな回転軸のずれでブレる直球を操るほかに、スライダースローカーブ、シンカー、シュートと多彩な変化球を操り、2005年に引退するまでに60勝を積み重ねたのでした。

川尻哲郎/伝説のノーヒットノーランは圧巻だった!

虎次郎
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1997年、開幕投手を勤めながらも5勝14敗と、正しく暗黒時代の阪神に飲まれてしまった形となった川尻。。^^:

出典https://www.youtube.com/

その年はレーザーポインターで投手の目を焼くという悪質ないたずらが多発していたこともあり、全国的に問題視されている時期でもありました。

さらに同年のオフに起きた野球脱税事件に関与していたこともあり、1998年の開幕3週間の出場停止処分を受けています。。

謹慎が明けた1998年、そのうっ憤を晴らすかのように川尻は大活躍しました!

総崩れしていた阪神の先発陣を救うべくマウンドに上がり続け、その年にあげた勝利数は10を数えました。

中でも、5月26日の中日戦は圧巻でした。

この日、前日まで飲み明かしていた川尻は、ブルペンから非情に調子がよかったそうです。

午前1時ごろ、店の店員に「そろそろ帰ったほうがいい・・」と言われて帰宅、起きてウォーミングアップでも体調がよく、キャッチボールの痛みでどんどん目が覚めていったそうです。

「6回くらいから打たれてない感じがあった。意外に簡単に8回まで抑えられて、9回になってようやく狙いたいと思った。」

投手は、7回くらいからノーヒットノーランを意識し始めるそうです。

しかし、元々飄々とした性格の川尻でしたので、妙に意識せずに、9回2アウトまで行けたようですね^^:

川尻哲郎/ノーヒットノーラン

あと一球コールが響く中、それでも最後の1アウトをとるまで、川尻は決して意識を緩めることはなく、見事ノーヒットノーランを達成したのです。

実は、この話には裏話があり、その時の対戦相手だった中日を指揮していたのは、闘将と呼ばれた星野仙一でした。

普通ならば、対戦相手にとってノーヒットノーランは屈辱以外の何物でもありません。

7回、中日のショート・久慈照嘉の打球はサードゴロとなりますが、デーブ・ハンセンの送球は際どいタイミングとなります。

「エラーじゃ、ヒットやない!」

星野はベンチでこのように叫び、相手監督すらも、川尻のノーヒットノーランをアシストしているかのようでした。

しかし、これはのちに投手だった星野の本能が、そういわせたのだと、川尻は知人を通して聞いたそうです。

「それはもう、嬉しいですよね」

こう語った川尻は、ただのひと試合ではなく、川尻にとっても人の潔さに触れられ、人生につながる一日だったのでしょう。

暗黒時代にMAX13勝!まさに右のエースだった・・

虎次郎
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1990年代、阪神は低迷期に陥っていました。とにかく勝てない、とにかく負けが続く。。

そんな泥沼の試合ばかりの中、川尻は同僚の藪恵壹と並び、阪神のエースとしてローテーションを支え続けました。

川尻哲郎

川尻哲郎

1996年、アマチュア時代にリリーフとして登板していたこともあり、開幕から中継ぎとして待機していましたが、あまり内容は伴わず、代わりに先発で結果を残していなかった郭李建夫に変わり先発として抜擢されました。

これが功を奏したのか、その年に自身初となる2桁勝利(13勝)をあげ、防御率3.26(リーグ4位)をマーク。

9月には月間MVPを飾るなど、ファンにとって希望を見出せる結果を残して見せました。

その後も、1998年と2000年に二けた勝利をマークするなど、どん底であったチームの中で奮闘。

もしもこの時、阪神が暗黒期でなかったら、通算成績60勝72敗という成績は逆になっていたかもしれませんね^^:

全盛期の川尻にふさわしい青柳晃洋に期待

虎次郎
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時は流れ、2022年。阪神には現在、川尻と同じ先発のサイドスローがいます!

ファンには「雨柳さん」の愛称で知られ、とにかく雨天中止の印象が強い青柳晃洋です。

青柳晃洋

2021年に、自身初のタイトルとなる最高勝率と最高勝利数の2冠を達成し、西勇輝とならぶ阪神のエースと呼ぶにふさわしい活躍を見せていますね。

サイドスローよりもやや低い位置、本人曰く「クォータースロー」という変則サイドスローのフォームからくる出される変化球は、悉く打者をごろアウトにしてしまうグラウンドピッチャーなのですが、彼の武器は何と言っても「最速クイック」でしょう。

投球開始から捕手に到達するまで、最速で1秒を切るモーションで、2020年には被盗塁企画数をリーグ最少3の回にとどめるほどです。

川尻哲郎

実は、そんな彼もまた、ジャイロボールの使い手です。

「小指から投げる感覚で、手首を立てて掌は上を向いたまま投げることを意識すると、自然とジャイロ回転になる」

青柳はこうコメントし、今までダルビッシュや松坂大輔といった大投手が否定したジャイロボールを体得しているのです。

かつて、暗黒時代に阪神のエースとして活躍した川尻の再来ともいえる青柳が、今後どのような活躍をするのかも注目したいですね!

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