【生涯成績&年俸調査!】野田浩司のトレードで大損!フォークで三振の山だった!

阪神選手90年代
虎次郎
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今回は元阪神の野田浩司の生涯成績や年俸調査、トレードで放出した理由、フォークで三振の山を築いたそのピッチングフォームなどを追求していきます!

野田浩司のトレードには阪神ファンなら唖然としたと思いますが当時、成績と年俸面などピークで全盛期の時でもあったため「なぜ?」と言うクエスチョンが頭を駆け巡ったと思います。

得意のフォークで三振をいとも簡単に取る彼のピッチングスタイルは当時阪神のローテーションピッチャーの中では群を抜いていた存在でした。

そんな野田浩司がなぜトレード要員となったのか?今回はその辺を見ていこうと思います。

野田浩司の生涯成績&年俸をチェック!

虎次郎
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阪神とオリックス、2球団に渡って活躍した野田浩司さん。

出典https://www.youtube.com/

その生涯成績は、いったいどのようなものだったのでしょうか?

やはり、野田さんと言えば何と言っても、「お化け」と評されるフォークによる奪三振率の高さでしょう。

野田浩司

野田浩司

1995年、オリックスに在籍していたときに記録された1試合19奪三振の日本記録を保持しています。

やはり、奪三振が多いのでしょうか?

野田浩司の生涯成績

野田浩司の生涯成績

こうして見てみると、むしろ阪神時代の時よりも勝ち星を挙げているんですね。

オリックスに移籍する前に、野田さんは同僚であった和田豊に、フォームの癖を指摘され、それを修正したところ非常に勝ち星を挙げられるようになったので、その影響も少なからずあるのでしょうね。

しかし、肝心の奪三振はそこまで伸びてはいないようです。

ただオリックスに在籍中、3年連続で2桁勝利や200奪三振を達成していますので、やはりオリックス時代のほうが、成績は向上しているようです。

本当に、トレードで出していなければ阪神の暗黒時代は、もう少し早く終わっていたのではないでしょうか。

そして、その年俸ですがこのようになっています。

野田浩司の生涯年俸

野田浩司の生涯年俸

1989年、1990年の情報はありませんでしたが、1996年からは1億円プレーヤーの仲間入りを果たし、チームの柱として活躍していたようですね!

最終的に、現役で稼いだ金額は7億を超えているようです!

野田浩司のトレードで大損した阪神!松永浩美との交換は大失敗だった・・

虎次郎
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野田さんが阪神に入団したのは、1987年の事でした。

九州産業交通からドラフト外れ一位として入団し、スリークォーター気味のサイドスローから繰り出される150km/hに近い速球がありながら、最大の武器はやはりお化けとも言われていた、落差の激しいフォークボールでしょう。

先発であろうと抑えであろうと、1年目から活躍し続けていた野田さんの放出は、当時のファンからしてみたらまさに青天の霹靂だったのではないでしょうか。

1992年、阪神球団はどうしても欲しい選手がいました。

野田浩司/松永浩美

それは、「長打力のある打者」です。

この年、最終戦までヤクルトと首位を争っていた阪神は、最後の最後でヤクルトに首位を明け渡す形で2位という順位で終わります。

その際に、首位打者を獲得したジャック・パウエルなどの強打者に、投手陣が撃ち込まれたのを見て、球団はやはり長打力が必要だと思ったのでしょう。

前年度、8勝9敗とはいえ、防御率2.98を記録した野田さんをトレードにて放出、前年度にリーグ最多の二塁打を放ち、打率.298、OPS.785という記録をマークし、盗塁王にも輝いたことのある「松永浩美」を獲得することにしたのです。

しかし、このトレードは前年度に優勝を争ったヤクルトにとって、非常に”ありがたい”トレードであったようで、当時監督であった野村克也は「フォークのお化けが消えた」と喜んだそうです。

野村克也

実際、ヤクルトはその年に連覇を達成し、阪神は4位まで順位を落としてしまいました。

しかも、トレードで獲得した松永はその翌年にFAを行使し、ダイエーへと移籍!

松永浩美

トレードでオリックスへと移籍した野田さんはその年に17勝を揚げ最多勝利を獲得するなど、阪神にとっては逃した魚は非常に大きい結果となりました。。^^:

もしも、ここで阪神がトレードに出さずに戦力を補強していたならば、いったいどのような結果になっていたのでしょうか?

野田浩司のフォークや19奪三振はヤバ過ぎる!三振の山!

虎次郎
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1992年にオリックスへと移籍した野田さんですが、そこでの活躍はまさしくとてつもないモノでした。

出典https://www.youtube.com/

その年にいきなり17勝をマークし、強者ひしめくパ・リーグで最多勝を獲得すると、1995年までの間の三年連続で10ケタ勝利をマーク、更に奪三振数も200を超えるなど、まさにオリックスのエースとして活躍し始めました。

特にすごいのは、やはり1995年でしょう!

野田浩司

4月21日、ロッテとの試合で先発した野田さんは、ロッテ打線を翻弄します。

ヤクルトの監督であった野村克也をもってして、「お化け」と言わしめたフォーク。

現在ではその代名詞は、ソフトバンクの千賀滉大が背負っていますが、この時代では野田さんこそ、お化けフォークの使い手だったのです。

サイドスローに近いスリークォーターから放たれる150km/hに近いストレートと、落差の大きいフォークを使い分け、更にそのフォークでも、現在ではスプリットと言われている鋭く落ちるフォークを使い分けており、その魔球ともいうべき球は打者の前から忽然と姿を消す、というほどでした。

野田浩司

野田浩司

その奪三振は実に19、文句なしの日本記録です!

しかし、のちに野田さんは「練習からよく、体調も良かった」と語りつつ、「7回までに17三振を取っていたが、野手がフライを3つ落としている。もしどれかでとっていたら、19という記録は生まれていなかったかもしれない」と苦笑交じりにコメントしています。

さらに、その裏ではメジャーへの挑戦の話も持ち上がっていたようです。

当時、野茂英雄のメジャーでの活躍が話題になっていました。

「日本人のフォークがいい」という話が持ち上がり、ツインズから2年5億という契約を持ちかけられたそうです。

しかし、野田さんは

「オリックスが楽しくて仕方がない、球団と喧嘩をしてまで行く気にはなれなかった」

と、その話を断ったことを明かしていました。

しかし、その判断はある意味正しかったのかもしれません。

1996年からは右ひじの故障に悩まされるようになり、1998年にはついにシーズン未勝利に終わってしまいます。

その後も、肘の調子が上がらず2000年には現役を引退、11年という現役生活に、終止符を打ったのでした。

なぜ阪神は野田浩司を放出したのか?今でも理解不能・・

虎次郎
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1992年、阪神はヤクルトと壮絶な首位争いを展開していました。

開幕前の下馬評は芳しくはありませんでした。

岡田彰布や真弓明信の劣化、オマリーとパチョレック以外の好材料がない、前年のチーム防御率がリーグ唯一の4点台と決していいとは言えず、まさに暗黒期真っただ中の阪神でした!

野田浩司/現在

野田浩司/現在

しかし、亀新フィーバーの活躍や、スライダーを獲得し制球難を克服した仲田幸司や真っスラを習得した中込伸

6月14日にノーヒットノーランを達成した湯舟敏郎など、若手が非常に活躍し、終盤まで好調をキープ、死のロードと言われている8月にも10勝6敗と勝ち越すことが出来たこともあり、9月の長期ロードでラストスパートを掛けることになります。

しかし、ここで阪神特有の終盤の大失速が発動してしまいました。

いきなり4連敗を喫し、9月26日にはエース・荒木大輔の復帰で息を吹き返したヤクルトに首位を明け渡し、その後首位に返り咲くものの、10月7日には最終回まで2点差をつけていましたがリリーフに失敗、逆転負けでとうとう完全にヤクルトに首位を明け渡してしまいます。

亀新フィーバーを巻き起こし、下馬評を覆すことは出来ましたが、残念ながら優勝をすることは出来ず、シーズン2位でオフを迎えることになったのです。

野田浩司/現在

出典https://mainichi.jp/

しかし、フロントにとってその原因は明白だと思われていました。

ラッキーゾーンの撤去により、かつては売りとされていた長打力の低下。

これこそが、阪神にとって最も足りないものだという結論に至ったのです。

確かに、リーグのチーム成績を見てみると、阪神は防御率こそ2.90と12球団トップの成績を叩き出していました。

しかし、打線のほうを見てみるとリーグ5位の成績、本塁打数に至ってはトップのヤクルトの半分にも満たない、83本とリーグ最下位の記録でした。

そこで、フロントは1992年度に8勝9敗を挙げ、防御率2.98を記録した野田さんをトレードに出すことにしたのです。

野田浩司

▲一緒に写っているのは元阪神監督で村山実さんですね。

90年代最大の謎トレードとも揶揄される、先発ローテーションの一角を担っていた野田さんとオリックス・松永浩美のトレード。

オリックスへと移籍し、17勝を挙げ最多勝のタイトルを獲得した野田さんとは対照的に、度々故障をしては戦線を離れる松永。

しかも、このシーズンで80試合程度にしか出場しなかった松永さんは、早々にFA権を行使し、ダイエーへと移籍。

「甲子園は幼稚園の砂場」という報道(これは松永自身が否定しています)が物議を醸すなど、何かと騒動を起こしたこのトレードは、阪神にとって非常に痛いトレードとなってしまいました。

野田浩司の球種やピッチングフォーム解説!

虎次郎
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野田さんと言えば、やはりその代表的な球種はフォークでしょう。

持続150kmのストレートを軸に、打者の目の前から突然消える、落差の激しいフォークを決め球に、高い奪三振力を誇ります。

野田浩司/ピッチングフォーム

そのフォークは、実は2種類存在しており、一つは王道的とも言われている、落差の激しいフォーク、そしてもう一つはストレートに近い速度で、突然下へと落ちる、現在ではスプリットと呼ばれているフォークの、二種類です。

他にも、スライダーやカーブなど一通りの変化球を習得していたようですが、なかでもフォークは1992年に阪神からオリックスへと移籍した際に、ヤクルトの監督であった野村克也が「お化けがいなくなった」と、大喜びしたというエピソードすらあるほどです。

身体的な特徴で言えば、野田さんはどうやら肘の使い方がやわらかいようです。

リリース直前直後の強い腕のしなり、これが野田さん独自の九室の決め手になっているようですね。

スリークォーターと言っても、野田さんのそれはサイドスローに近く、低い位置からリリースされています。

まるでそのフォームは、かつて阪神で活躍した小林繁をほうふつとさせるようなものでした。

体が壊れる事すらも厭わず、その一試合に全力をかけるかの如く肘のばねを限界まで使い、身体から搾り出すようなストレートは、まるで浮かび上がるように見えるそうです。

藤川球児の火の玉ストレートが、まるでホップするような球であったというように、野田さんのストレートもまた、ホップするように見えたのでしょう!

1993年にオリックスへと移籍し、移籍前に和田豊からフォームの癖を指摘され、それを改善したことにより、17勝という大活躍をした野田さん。

もしも、トレードされずに阪神に残っていたのならば、90年代の暗黒時代は、もっと早く集結していたかもしれませんね。。^^:

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