吉田義男⇒生い立ち&なぜ成績低いのに永久欠番なのか?理由や真相は?

阪神選手60年代
虎次郎
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今回は元阪神の吉田義男の生い立ちや永久欠番の理由、その生涯成績などをチェックしていきます!

吉田義男はなぜ成績低いのに永久欠番なのか?と疑問に思う人も多いでしょう。

それは彼の生い立ちから来る「努力のタマモノが永久欠番に導いた」と言っても過言ではありません。

吉田義男と聞くと、ミスタータイガース掛布雅之やミスタージャイアンツ長嶋茂雄のようなハデさはありませんが、阪神球団史上唯一内野手での永久欠番となっている彼の生い立ちから今日までを見ていきたいとおもいます。

吉田義男の生い立ちやなぜ「ムッシュ」と呼ばれたのか?

虎次郎
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吉田さんは1933年に京都府京都市中京区の一角で生まれました。

両親と姉の4人家族で、戦時中に吉田さんは母親の実家である、京都亀岡に身を寄せます。

出典https://www.youtube.com/

高校時に両親を亡くし、姉がいたという情報がなかったのか、”吉田義男は天涯孤独”という憶測
が飛び交いました。

ムッシュ吉田

ムッシュ吉田

しかし、実際には甥(お姉さんの息子)に近鉄で活躍した谷真一や、親族に囲まれ決して血縁がいない、というわけではありません。

そんな吉田さんは現役時代に2度の優勝、85年には監督として栄光の日本一を果たします。

しかし日本一を果たした二年後、周囲の期待を背負った阪神は、残念ながら屈辱の最下位に沈んでしまいます。

吉田義男/阪神優勝時

出典https://www.nikkansports.com/

当時、2度目の監督を歴任していた吉田さんですが、最下位に沈んだその年に辞任。

傷心の吉田さんは、さらにその2年後の1989年からフランスへ渡り、現地の人々にベースボールを伝えます。

まだ、当時フランスでは野球というものは決してメジャーなスポーツではなく、ヨーロッパの中でもそのレベルは、最低クラスであったとも言われています。

吉田義男

吉田義男

そのフランスで、吉田さんは早速現地の人々に現役さながらの動きで、ダブルプレーを完成させます。

その動きに、現地の人々は賞賛を送りました。

1995年まで、フランスチームの監督を務めた吉田さんは当時最低クラスとも言われていたフランスチームの野球レベルを、世界大会に出場できるほどにまで鍛え上げ、その功績をたたえてフランス野球、およびソフトボール連盟の名誉会員にえらばれます。

ヨーロッパでは決してメジャーではないスポーツ、ベースボールを普及させ、世界でも戦えるレベルにまで成長させた吉田さんを、現地の人々は尊敬の念をもって「ムッシュヨシダ」と親しまれています。

ムッシュとは、現地の人々にとって「閣下」という、ミスターやサーと並ぶ、男性へ尊敬の念を込める言葉だそうですよ。

吉田義男の生涯成績を見てみよう

虎次郎
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吉田さんの生涯成績を調べてみました。

吉田義男 生涯成績

吉田義男 生涯成績

吉田義男 生涯成績

1966年から1969年までの3年間は、規定打席に未到達のようです。。^^:

こうしてみると、通算成績では2000試合出場達成や、通算300盗塁達成など、決して守備だけの人ではなかったというのが伺えますね。

吉田義男

犠打の多さなどもあり、やはり守備だけではなく、献身的な打棒も、吉田さんが阪神に取ってなくてはならない戦力であったという証明ではないでしょうか?

吉田義男はなぜ永久欠番なのか?3割一回しか打ってないよね?・・

虎次郎
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吉田さんは、決して秀でた成績を残しているわけではありません。

出典https://www.youtube.com/

現役生活16年において、打率が.300を超えたのはたった一度(1964年)だけであり、その他の成績はひどい時だと、.228という時も(1961年)あったようです。。^^:

それなのに、なぜ吉田さんの背番号23は阪神タイガースの永久欠番に選ばれたのでしょうか?

吉田義男

出典http://tora-news.com/

当時、阪神タイガースは背番号23を永久欠番にする予定はなかったようです。

現役を退いた後、背番号23は36年もの間、誰も背負うことがない空き番号になっていました。

それ以前にも、背番号23を背負った選手はいました、

しかし、どの選手も3年と持たずに、阪神タイガースを去っています。

そして、その背番号を最も長く背負ったのが、吉田義男そのモノだったのです!

その後、誰も背番号23を背負うことがなく、いつかふさわしい選手が出たときに与えようということになっていたようです。

が、その時から阪神は投手不足だったため、大型の内野手はたった三人(中村勝広、佐野仙好、岡田彰布)しかおらず、彼らはすべてほかの背番号を希望していました。

吉田義男

出典https://number.bunshun.jp/

そしてその後、吉田さんは監督として、阪神タイガース史上唯一の日本一を成し遂げます。

その功績をたたえられ、解任された87年に吉田さんが現役時代に慣れ親しんだ背番号23を永久欠番に指定したのです。

牛若丸イコールが永久欠番の理由?

虎次郎
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勿論、吉田さんの背番号23が永久欠番に指定されたのは、牛若丸と呼ばれた華麗で堅実な守備が理由でもあるでしょう。

しかし、吉田さんは決して「守備一辺倒の人」、というわけではありません。

吉田義男

吉田義男

あまり目立つような記録ではありませんが、タイガース入団1年目から、二年連続でリーグ最多犠打を記録し、二年目には自己最多である51盗塁を達成し、見事盗塁王にも輝きます。

引退するラストイヤーである69年を除き、すべての年で100試合以上出場を果たし、その貢献的な打棒で、阪神を62年、そして64年と優勝へと導いているのです。

派手で堅実な守備と、圧倒的な強肩を誇った三塁手の三宅秀史のコンビ!

これらで鉄壁の内野陣と称された裏には、献身的な打撃と俊足で小技を駆使した、吉田さんの活躍もあったようです。

吉田義男が過去に探偵ナイトスクープに出演していた!

虎次郎
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探偵ナイトスクープという番組をご存知でしょうか?

1988年から放映されているバラエティ番組である探偵ナイトスクープですが、この番組には「野球関連の依頼にに外れなし」という定説があります。

過去の放送界には、元阪神の金本知憲も出演している番組ですが、実はこの番組に、吉田義男さんが出演されていたことがあります!

そのタイトルは「64才!夢のダブルプレー」

当時、すでに79才であった吉田義男さんと地方リーグである「神戸サンズ」の協力のもと、64歳の方が4-6-3のダブルプレーを完成させるという企画でした。

吉田義男/探偵ナイトスクープ出演時

4-6-3というのは、セカンドが捕球し、バックアップでショートがセカンドに入り、そのショートにセカンドが送球してアウトを取り、そのままファーストへ投げて2つのアウトを取るという一連のプレーのことです。

その際に、現役さながらのプレーで華麗な動きを披露してくれた吉田さん、当時の年齢でもここまでの動きができるとは、まだまだ野球道を邁進していたようです。

解説や、こういった番組でも野球のことを熱く語り、時折お茶目なことも語りつつ、いつまでも元気で野球を楽しんでほしいものですね^^

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