『本名ではない?』桧山進次郎と韓国&国籍の関係やバッティング調査!

阪神選手90年代
虎次郎
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今回は桧山進次郎の本名や韓国との関係性、国籍やバッティングについて検証していきます!

桧山進次郎と言えば阪神の中でも生え抜きで4番を打った実力者です。

そのシェアなバッティングは今も多くのファンに語り継がれていますよね^^

実は彼は本名が韓国籍で国籍が外国だった事はご存知でしょうか?

意外かもしれませんが彼の国籍が日本人ではない事は多くの阪神ファンは知らないと思います。。

今回はそんな桧山進次郎の隠されたエピソードについて見ていきたいと思います。

桧山進次郎になぜ「本名」のワードが?本名ではない?・・

虎次郎
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桧山進次郎という阪神一筋にプレーした名選手を検索すると、「本名」とか後にふれる「韓国」とかのワードがひっついて表示されることが多いです!

桧山進次郎/本名

桧山進次郎/本名

出典https://www.youtube.com/

一言でいえば日本名が桧山進次郎、母国名が黄進煥(ファン・ジナン)、だから両方本名です、
という説明になります。

―何で二つあるの?自分は一つだけだよ―と思われるかもしれません。

しかし、一定の人達が二つお持ちです。有名人にもおられます。

桧山進次郎

桧山進次郎

検索でもすれば、中には「え?その人が?」という方まで出てきます。

何故なのか?そのお尋ねには次に記していきましょう。

※私は、阪神タイガースの勝利に貢献してきた大選手として敬愛してやまないので、この後は「さん」付で呼称させていただきます。

ちなみに近年の阪神選手でも林威助なんかは台湾出身の選手として話題になりましたね^^

桧山進次郎/「韓国」のワードまで!在日コリアンだったのか?

虎次郎
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母国名からも推測できるように桧山さんは、在日コリアン、正確には在日韓国人三世です。

桧山進次郎/韓国

桧山進次郎/韓国

桧山さんの出身地は京都市右京区となっています。

広く知られていることですが、日本には「在日」と呼ばれる方々がたくさんいらっしゃいます。

国から永住、又は中長期的に認められた外国籍の人が、総じてこのように呼称されているのです。

桧山進次郎

別に、韓国に限らず中国、台湾、ブラジル、そして大国と必死に戦っているウクライナの人も含まれます。

しかし、距離的なこともあり、韓国・朝鮮の人が一番多いのです。

その数は、40万人以上と集計されています!

桧山進次郎

都道府県で見ると、最多は大阪ですが、もう少し広く眺めると東京、神奈川、兵庫、そして京都と大都市圏に分布しており、京都も順位で言えば7番目になり、約2万3千人の在日韓国・朝鮮人がいらっしゃいます。

(参考: 在留外国人統計テーブルデータ 出入国在留管理庁 (2021年12月分))

在日韓国人の歴史を細かく紐解くつもりはありませんが、日本とはそれこそ高句麗(こうくり)、新羅(しらぎ)、任那(みまな)、百済(くだら)と言われていた大昔から交流のあった国ですから、人の往来は、千年以上も続いてきました。

永い歴史の中、帰化した人もいたことでしょう。

桧山進次郎もこの歴史の中に影響したと言っても過言ではないのです^^

とりわけ明治・大正・昭和という近代では仕事を求めて、日本に来、そのまま永住されるようになった方が多い、とされています。

桧山進次郎と国籍の関係性を調査

虎次郎
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桧山進次郎2016年3月に帰化が認められ、韓国籍から日本籍になっています。

2000年からこちら、同様にして日本籍になられた人が、沢山いらっしゃるようです。

韓国籍、ということで人には言えない苦労があったかもしれません。他者からすれば、推測するしかありません。しかし、天は「野球」の才能を与えてくれました。

桧山進次郎

「力がありさえすれば生きていける世界」へ挑戦できるチャンスが、訪れたのです。

きっと少年時代、中学時代では「その世代としてのすごい実績」を積み重ねたことでしょう、京都の名門校である、平安高校(現:龍谷大付属平安高校)に入学します。

私の中学時代、同級生で県こそ違いますが地元の野球名門校に進んだ人がいます。

その人が、「入るのも大変、3年続けるのはもっと大変、ベンチ入りするのはもっともっと大変」と言っていたことを思い出しました。

そんな「大変な」エリート平安高校でもまれ、認められ、やがては阪神に入団します。

桧山進次郎

ちなみに平安高校からプロになった選手は現役・OB含めると60人を超えています。

有名なところでは広島カープの鉄人こと衣笠祥雄さんですね。

意外な人では、やはり阪神一筋で監督までされた金田正泰さんもOBです。

名門高校やその上の大学、プロ野球では何よりも優先されるのは実力でしかありません。公務員のように日本国籍でなければ、なれない職業でもないのです。

実績を残された名選手も数々。

400勝投手の金田正一さんや、3000本安打の張本勲さんとか挙げればきりがない程です。

桧山進次郎/バッティングフォームを追求!

虎次郎
虎次郎

現代では、有難いことにYouTube等で現役を退いた選手の昔のプレーを、いくらでも閲覧できるようになりました^^

出典https://www.youtube.com/

そこでよく見かける桧山さんの映像は、大きく弧を描いてライトからセンターの間に入るホームランが多いです。

私が、初めて桧山さんをリアルタイムで見たのは、1992年春のオープン戦のテレビ中継でした。

「今年、期待の新人桧山選手、初のバッターボックスです」のアナウンサーの一言が終わるや否や、フルスイングで目の覚めるような強い打球で、右中間を真っ二つに割るツーベースを放ちました。

桧山進次郎/バッティング

桧山進次郎/バッティング

デビューしてからは、ファンやメディアから長打を期待され、それにこたえる一方、三振も多く不確実性の高い選手時代が続きます。

それでも長距離砲が、なかなか出てこない当時のチーム事情も手伝って、6年目に4番を任されるまでになります。

1997年には、左打者として久々に23本塁打(甲子園で左打者が20本打つのは大変なこと)という大台をマークするも、打率は.227、三振も150個「思い切り振り回す。当たればでかい。あかん時は・・・^^:」的な随分粗削りな結果を残しました。

振り回すイメージが変わりはじめたのは、2001年あたり、30才を過ぎてからです。

桧山進次郎/打撃

相手バッテリーの配球を分析した上で、打席に入る前の準備をし、考えながら打席に入るようになった、と評されるようになりました。

野村監督の指導もあったのでしょう。

2001年、チームは最下位ながら、12本塁打、打率.300をマーク、三振は62個と大きく減少しています。

無理矢理引っ張らず、広角に打てるようになった印象がありましたね。

■桧山進次郎と共に戦った暗黒時代の戦友一覧!

片岡篤史

和田豊

井川慶

広澤克実

坪井智哉

亀山努

松永浩美

大豊泰昭

藪恵壹

中村勝広

打撃センスはコンパクトながら長打力も兼ね備えていた

虎次郎
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以降桧山さんは、流れに逆らわずコンパクトな打撃を目指します。

元々秘めていた長打力を抑えながら。

結果として、同じ2001年28試合連続安打記録(当時)を樹立、優勝した2003年、7月2日の中日戦で
サイクル安打を達成します。

桧山進次郎

出典https://tp-bb.jp/

しかし、順調とはいかず内部の競争も激しく、若手の台頭もあり、徐々に控えにまわらざるを得なくなりました。

代打中心の生活になっても、くさることなく考えを改めて、「4打席の中で結果を出していくレギュラー」の練習の仕方から、「1打席の中で結果を出す」為の練習に変わります。

番組特集でしたが、バッティングピッチャーが投げる球をただ打つのではなく、一球一球相手投手をイメージして、「中日の〇〇」「巨人の○○」と口に出しながら、丁寧に打つ練習をしていた姿勢にすごく感動したことを記憶しています。

そのような努力が実って、2008年には打率.300、2013年には代打として通算100打点を記録。

八木裕に続いて、「代打の神様」の称号がつきました。

最後になった2013年クライマックスシリーズ第2戦で、9回代打ホームランを放ち、長距離砲としての一面も見せて引退しました。

引退後は野球評論家となりました。テレビ・ラジオ中継の解説をするだけでなく、動画やサイトでは、特定の選手の打撃解説や、初心者が打つ練習をする時のコツをレクチャーもしています。

どれも大変丁寧な解説ですよ。「早く現場に戻ってほしい・・」、というファンも沢山います。

私も、その一人なんですが。今度は指導者としての、桧山さんを応援したいものですね^^

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