
今回は元阪神で85年優勝時のキャッチャー木戸克彦の今現在や清原との関係、娘や結婚した嫁(妻)はどんな人物なのか?について見ていきます!
木戸克彦と言えば優勝時のレギュラー捕手ですよね。
「打てるキャッチャー」として阪神初の日本一にも貢献した捕手ですが、現在活動や清原との関係性が意外だった事実があります。
また、娘や嫁の存在も飛行機の墜落事故と一部関係していたことがありました。
その真相を見ていきたいとおもいます。
木戸克彦の守備力や肩は?ドラフト1位はタダ者ではなかった!

木戸克彦さんは、1982年にドラフト1位で阪神に入団しました。

木戸克彦
小学生の時から野球三昧の毎日で、高校時代には当時名門高校であったPL学園(現在は廃部扱いとなっており存続はしていません)に入学したのですが、1978年に春夏を通じて出場を果たしています。
その夏の選手権では、捕手として出場を果たし準決勝では中京高校と対戦、9回裏までで4点のリードを許していたのですが、なんとその9回裏の攻撃で振り出しに戻し、さらに延長12回の末に逆転勝ちを収めています。
更に、同年の結晶せんでも高知商業高校に9回裏逆転サヨナラ勝ちを収めるなど、まさに勝負の女神さまに微笑みかけられ続けた木戸さん率いるPL学園。
その夏の甲子園は、「奇跡のPL」という逸話で語り継がれているようです。
いい捕手がでてきたな。
生え抜きでは僕が子供の頃に野球見るようになってから1番ワクワクするキャッチャーかな。それまでは木戸克彦さんが1番でした😂 大阪堺が生んだPLの名捕手!— 謝巍 (@kb_373) August 7, 2020
卒業後は法制学園へと進み、東京六大学リーグで在学中に3度の優勝を経験、リーグ通算で76試合出場、274打数84安打、打率.307、5本塁打、33打点を記録、1980年にはベストナインにも選ばれています。
そして、1982年に阪神タイガースがドラフト一位で木戸さんを指名、プロ野球の道を歩むことになったのです。
その巧みなリードや強肩を期待され、同じ法政大学の田淵幸一がつけていた背番号22を与えられました。

木戸克彦
1983年は怪我もあり、ほとんど出場機会はなく2軍暮らしでした。
1984年には1軍の捕手は山川猛が務め、やはりここでもまだ木戸さんの出番はほとんどなく、ようやく26試合に出場するにとどまります。
しかし、1軍バッテリーコーチであった柴田猛からの鉄拳制裁を含めた厳しい指導を受け、みっちりと鍛えられることになります。
木戸さんは、「100%の準備をするために球場には一番乗りをする」「どんな場合でも最高と最低を同時に考える」などの教訓を、柴田猛から教わったのです。

木戸克彦
そして、1985年。
吉田義男新監督が就任すると、木戸さんは正捕手として一軍に帯同することになります。
捕手は、本来一人前になるまでには3,4年以上かかると言われていますが、3年目であった木戸さんは驚くほどの理詰めされたリードと正確なスローイング、冴え切っている勝負勘など、数々のサポートを駆使して活躍、徐々に若手からベテランに至るまで幅広い支持を集めていくことになります。
そしてこの年は、伝説として語り継がれている「バックスクリーン三連発」の年でもありますが、その裏で木戸さんも6月15日に2回裏、5回裏、そして7回裏に自身唯一となるレフト方向への1試合3ホームランを記録しています!

木戸克彦

木戸克彦/3打席連続ホームラン
その一部始終がこちら!▼
出典https://www.youtube.com/
その年は後半に失速し、結局13本塁打にとどまりますが、6月までにすでに9本のホームランを量産、強打者としても期待されていたかもしれません。
そのホームランのほとんどはレフト方向のホームランであり、その読みの鋭さが伺えますね。
その年、優勝と日本一を果たした阪神の捕手はすべて木戸さんであり、優勝を決めたその時も、日本一を果たしたその時も、マスクをかぶっていたのは木戸さんでした。
そして、私が特筆したいと思うのは1992年の事です。
6月14日の広島戦、その時の先発は湯舟敏郎でした。
木戸さんは湯舟さんと非常に相性がよく、二軍落ち寸前であった湯舟敏郎にはっぱをかけるべく、こう言葉をかけます。
普通ならこんな言葉を掛けられたら、委縮して身体が縮こまってしまいそうです。
しかし、湯舟敏郎を巧みにリードした結果、本当のノーヒットノーランを達成してしまったのです。
若手選手にベンチで気合を入れるようなこともあり、まさに捕手として全てを兼ね備えた捕手だったのかもしれませんね。
木戸克彦(阪神)の現在活動は?

現役を引退した後、木戸さんは阪神球団のコーチの仲間入りを果たします。
一軍バッテリーコーチ、二軍バッテリーコーチ、そして2003年と2005年、ともに阪神が優勝した際には二軍監督を務めていました。

木戸克彦/阪神コーチ
特に、当時の監督であった故・野村克也からの信頼は厚かったのか、2001年時に本来ならば投手コーチの役目であったマウンドに駆け付ける仕事も、バッテリーコーチの木戸さんに回ってきていたそうです。
2003年、2005年のウエスタンリーグで阪神を優勝に導きますが、その翌年から就任することが決まっていた島野育夫に託すように、退任されました。
2006年からは朝日放送、サンテレビ解説者と日刊スポーツの野球評論家に就任、毎週土曜日に「虎バン主義。木戸克彦だからやっぱりタイガース」という、自らの看板番組を担当することになりました。

木戸克彦/解説
その後、2008年から2011年まで阪神にコーチとして復帰をする傍ら、朝日放送・サンテレビ・日刊スポーツとの契約も残っていたので、コーチ業の傍らにも出演、春季キャンプの近況報告もされていたようです。
その際、狩野恵輔の態度に檄を飛ばすなど、厳しい指導を行っていたことも。
数々のコーチを歴任し、育成にも励んできた木戸さんは現在、なんとその活躍の場は女子プロ野球リーグへと移していました。
侍ジャパンと対を為すと言っても過言ではないチーム、通称「マドンナジャパン」のヘッドコーチに2017年から就任、現在もその役職を歴任されているようです。

木戸克彦/マドンナジャパンコーチ
元々、阪神でコーチを歴任してきた木戸さんですし、そのノウハウを生かして女子プロ野球選手を導き、2019年の世界大会では世界の強豪を蹴散らし、見事チャンピオンに輝いていました!
まだまだ60代とお若いので、これからも女子プロ野球発展のために尽力されることでしょう。
木戸克彦と清原の関係性がヤバい!清原が唯一恐れた男!

PL学園と聞いて、真っ先にどの選手を思い浮かべるでしょうか?
出典https://www.youtube.com/
世代にも寄るかもしれませんが、私が思い浮かべたのは真っ先に「KKコンビ」です。
桑田真澄、そして後に番長と言われるようになった清原和博のコンビがPL学園を夏の全国大会優勝に導いたこともあるこの二人が、真っ先に思い浮かびます。
しかし、桑田はもとより番長と呼ばれた清原でさえ、決して頭の上がらない人が居ました。
それが木戸さんです!
番長として先輩後輩関係なくドスをきかせてた清原が唯一逆らえなかったのがPLの先輩の木戸克彦(阪神)で、清原が乱闘起こしそうになっても木戸コーチが出ていこうとすると清原が引っ込んだっていう話すごく好き。
— とろろ (@lit_soc) May 18, 2016
学生時代に、部活をしていた人ならばわかると思いますがとにかく、高校の部活動というのは年上が絶対的な権力を握っていることが多いのです。
それは清原が入学したPL学園も例外ではなかったようです。
特に、木戸さんは清原がPL学園に入学する前年に阪神に入団しており、野球全盛期であった時代で、OB崇拝が強かったPL学園ではまさに、清原にとって木戸さんは雲の上の人物に等しい存在でした。

木戸克彦/清原
そんな、憧れであったであろう木戸さんと、巨人に移籍してきた清原は何度か対戦することもありました。
【PICK UP】
-阪神 木戸克彦 サイン入りフォトパネル-
木戸克彦といえば、あの「番長」清原が
唯一逆らえなかったとも言われる人物。
▷http://t.co/krU7FDimxW #野球 #野球好きな人RT #阪神 pic.twitter.com/txPptHAKu5— Yokocho (@yokochoofficial) February 2, 2015
清原はご存知の通り、とても強面で怖いと思われがちな人物ですので、死球に関してはよく投手に向かっていくこともありました。
しかし、木戸さんがたびたび間に入り、それを諫めるという場面も見受けられ、清原は木戸さんになかなか頭の上がらない人物であったようですね!
木戸克彦の娘(子供)の存在はいかに?

木戸さんには、嫁との間に一人娘さんがいるようです。

木戸克彦/娘(子供)
娘さんが出征した際に、木戸さんはその記者会見時に名前を聞かれた際に、冗談めかして「ルナにしようと思っている、自分の名字が木戸なので、語呂合わせで木戸ルナ(気取るな)」と、ジョークを飛ばされていました。。^^:
阪神の木戸克彦の娘さんに会った
— koki (@akaba48) October 20, 2013
その後、その娘さんがどのような人生を送られたのかは情報がなかったのですが、嫁もおそらく一般の方なので、そう公表するようなことはできないのでしょう。
しかし、ドラフト一位指名を受け、85年の球団史上唯一の日本一を達成した正捕手の娘さんであれば、もしも何かしらの場で活躍することがあれば、公開されるかもしれませんね。。^^:
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木戸克彦が結婚した嫁(妻)はどんな人?

木戸さんの嫁さんの名前は「美紀」さんです。実は一度九死に一生を得ているようです!
1985年8月12日、その日は木戸さんは夫婦そろって福岡から東京に戻るために、飛行機を待っていました。

木戸克彦/嫁(妻)
木戸さんは一足早く、366便の好機で東京に戻ったのですが、奥さんはその次の瓶であった123便に乗り合わせる予定でした。
この123便、実は当日に墜落しているのです!
1985年の8月12日、日本航空123便墜落事故として名高いこの事故に、木戸さんの奥さんは危うく巻き込まれるところでした!
その直前に、嫁さんはこの飛行機をキャンセル、墜落事故に巻き込まれることなく、九死に一生を得たのです。
その後のことは情報がなく、不明なのですが木戸さんが娘さんの名前を「ルナ」にしようと思っているという逸話を、もしかしたらテレビで聞いていたかもしれませんね。
そんなジョークも笑い飛ばせるような奥さんであれば、きっと今も夫婦そろって幸せに暮らしている、と私は思います^^:
この記事を書いた人

- どうも、The Tigers管理人の虎次郎です!阪神ファン歴30年以上のコアなオールドファンです。阪神タイガースに関しての事なら私生活と同化しているほどのマニアです。「日本イチの阪神ファン」と公言しているダンカンにも負けない自信があります!とにかく阪神タイガースが好きな方、愛している方、ファンの方には絶対に楽しめる専門サイトになっていますので、ぜひ楽しんで行ってください!
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