江川卓の関係が小林繁の成績&年俸に比例!球種やピッチングフォームは?

阪神選手80年代
虎次郎
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今回は元阪神の小林繁と江川卓との関係性や、生涯成績&年俸、球種や球速などそのピッチングフォームについて追求していきます!

小林繁と江川卓とのセットはもはやニコイチと言っても過言ではなく、「江川事件」が全てを物語っています。

圧巻の成績で阪神に新しい風を吹き込んだ彼は、その球種&球速のピッチングフォームで打倒巨人を誓いマウンドに立っていた事でしょう。

亡くなってから随分と経ちますが、未だコアなファンは彼の事を忘れる事はできない存在だと言えます。

今回はそんな小林繁と江川卓との出来事を見ていこうと思います。

小林繁と江川卓との関係性が今見てもエモい・・

虎次郎
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江川卓と小林繁の関係性を語るうえで、どうしても外せないのはやはり「江川事件」でしょう!

出典https://www.youtube.com/

1978年に起きたこの一連の騒動は、最終的に小林さんと江川の電撃トレードという形で幕を下ろしましたが、様々な思惑と解釈が入り混じり、この二人に深い溝を生み出すことになりました。

トレードの前日、小林さんは読売ジャイアンツの球団社長である長谷川さんに呼びつけられました。

「トレードを了承してくれないと、セ・リーグを出ていかないといけなくなる」

事務的なことを並べ、決定事項であるかのように放した長谷川社長の言葉に、小林さんは素直に同意、阪神へと移籍することになりました。

その際の記者会見で、小林さんはこうコメントを残しています。

小林繁/江川卓

小林繁/江川卓

「自分は犠牲になったという気持ちはありませんし、正直なところ今でも巨人が好きです。江川君はうまくいったけれどもこれから大変だろうから頑張ってほしい」

決して、犠牲になったという考えではなく、あくまで球団同士のトレードの申し出であり、自分自身にはどうすることもできない問題だと理解していたのでしょうか。。

ただ、このトレードは表向きには「無償トレード」という形になっているようです。

元々、読売に在籍していた小林さんは単独で阪神へと移籍、江川も読売が阪神へと金銭を渡すことで、阪神から巨人に移籍した、ということになっています。

そのため、江川は移籍日が4月7日の開幕日になってしまったため、キャンプや読売の施設を使うことが出来ず当時読売の捕手であった矢沢正と練習を行っていたようです。。

それから28年、江川と小林さんが和解を果たしました。

小林繁/江川卓

小林繁/江川卓

出典https://www.youtube.com/

和解というには語弊があるかもしれません、何しろ対談の中で小林さんが江川の謝罪に対して、こう笑い飛ばしたのです

「謝ることないじゃん!」

自分も相手もしんどかった、この言葉が如何に、小林さんと江川が険悪な中ではなかったということが伺える言葉だと思います。

球団の思惑に翻弄され、野球人生に傷を作ってしまったお二人ですが、その中は決して悪いものではありませんでした。

小林さんのお葬式の日、江川はこうコメントを残しました。

小林繁/江川卓

小林繁/江川卓

「今でも申し訳ないと思っている、こちら側に原因はあることですし、一生消えないものだと思います」

しかし、そんなコメントを聞いて小林さんは天国でこう笑い飛ばしたことでしょう。

「謝ることないじゃん!」と・・。

小林繁の生涯成績は江川卓との固執で上昇した

虎次郎
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小林さんが阪神に移籍して1年目、非常にすばらしい成績を残しました。

失点こそ101と多いものの、防御率は2.8922勝9敗と13勝の勝ち越しを阪神にもたらし、その年の沢村賞を獲得しました!

小林繁/江川卓

その原因は、もしかしたら江川さんには負けたくない、という思いがあったのかもしれません。

野球界において、ライバル同士という関係は少なからず存在します。

小林繁/江川卓

小林繁/江川卓

江川事件という後味の悪いトレードであったとはいえ、この二人はきっと野球界を盛り上げるために、一役買ってくれたことは間違いないでしょうね。

小林繁の生涯年俸をチェック

虎次郎
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小林さんの年俸ですが、それは決して参考程度にしかならないでしょう。。

なぜなら、小林さんは引退後のほうが収入が多かったように思うからです。

まず、プロ野球選手であった時期の年俸をグラフにしてみました。

小林繁 生涯年俸

小林繁 生涯年俸

小林さんの、1980年以前の年俸額は情報がないため解りませんでした。。

しかし、阪神にトレードされた際に巨人からの金銭のやり取りがあったことがわかっています。

そのことも考えると、小林さんの年俸はおそらく2000~3000万ほどで推移していたのではないか、と推測されます。

小林繁

しかし、小林さんは引退後、高級クラブの経営や阪神OB川藤幸三から委託されたゴルフ場の支配人。不動産経営など幅広いビジネスを展開していました。

また、テレビ出演などもされていたので、当然出演料なども発生していたでしょう。

それらの収入を、バブル経済真っただ中であったことも考えると、もしかしたら現役生活よりも高い収入を得ていたのかもしれませんね!

小林繁の球種やスゴさをリサーチ!

虎次郎
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小林さんは、主に7種類の球種を使い分けていたようです。

出典https://www.youtube.com/

ストレートの球速は140km/hと平均よりも少し低いくらいだったようですが、その独特のフォームにより、非常に伸びがあり、決め球のシンカーとフォークボールで、非常に奪三振力が高い選手であったようです。

その成績を見ると、1979年。

阪神に入団した1年目、その奪三振数は200を数えました。

決め球にフォークを多用し、前年度の奪三振が155であったこともあり、いかに打者がそのフォークボールとシンカーに惑わされていたのかよくわかります!

また、小林さんはサイドスローという、横投げの投手でした。

もともと、サイドスローの投手が少ないということもあり、打者がその球の出所がわかりづらく、軌道を読みにくいという利点があります。

また、先ほども申し上げたとおり、小林さんはシンカーを決め球に使っていました。

小林繁/球種

小林繁/球種

シンカーは横回転の変化球になり、志度スローはこの横回転を掛けやすいというメリットがあるのです。

そのおかげで、変化量が上がり、打者からしてみたらそれこそ、球が突然消えるなどと言う現象が起きやすくなります。

例を挙げるならば、現在のソフトバンクホークスの投手、千賀大賀がそうですね。

彼のフォーク、「通称お化けフォーク」は非常に落差の大きいフォークです。

突然目の前からボールが消える変化球に苦しめられたバッターはその年は多かったことでしょうね!

ピッチングフォームが独特すぎて打者は打てなかった!?

虎次郎
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小林さんはサイドスロー(横投げ)の投手でしたが、そのスタイルは一風変わったものでした。

出典https://www.youtube.com/

非常に低い体勢から、一時的に力を込めているように見えます。

低い体勢で後ろ足を限界まで曲げ、しゃがむ直前まで身体を低く沈み込ませそのままの体勢でリリースをしています。

小林繁

小林繁

足の膝に捻りを加えつつ、前へ屈んだ状態に、下に伸ばした腕をくっつけ、打者から見えないようにしているのです。

非常にゆったりとした動作ですが、それは腰を下ろしている時まで。

上体の回転が始まると、その動きは一気に加速し、ボールに遠心力を加えつつ身体の動作すべてを同時に行い、リリースの瞬間に身体のすべての力をボールに集約させるのです。

捻り、回転、すべてを集約した小林さんのサイドスローは非常に打者から見えにくい低い位置から飛び出してきます!

これだけ低い位置からの投球であるならば、おそらく球は背中から浮き上がるように追ってくるような軌道を描くように錯覚させます。

そこからすとん、と落ちるシンカーにフォークを混ぜられたら、強打者でも非常に打ちにくい球であったことは、間違いないでしょう。

1979年に22勝を挙げ、沢村賞を獲得した小林さん。

異色のトレードになったとはいえ、阪神と読売の2球団で活躍した小柄な大投手のご冥福を心からお祈りいたします。

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