【双子の兄弟伝説!】亀山努&忍の病気や引退理由はなに?年俸詳細を調査!

阪神選手90年代
虎次郎
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今回は亀山努の双子の兄弟である亀山忍の病気のことや引退理由、年俸や生涯成績など伝説を細くをチェックしていきたい!

亀山努はまさに「伝説」と言う言葉が似合う阪神でインパクト大な存在でしたが、双子の兄弟だった亀山忍の病気のワードが気になります。

現役時代は阪神でファンにも愛されるキャラでしたが、引退理由が私生活から来る意外な結末でした。

そんな彼の年俸や成績なども含め、亀山努がどのように阪神で過ごしてきたのかを見ていきたいと思います。

亀山努の双子の兄弟は忍!弟は阪神の入団テスト落ちた?

虎次郎
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亀山努は、幼少時代に父親からプロ野球選手になるべく、英才教育を受けていました。

亀山努

亀山努

しかし、その傍らにはもう一人、同じく野球選手を目指す人物がいたのです。

その人は亀山忍、努の双子の弟であり大河ドラマ「聖徳太子」や「ウルトラマンダイナ」など、幅広い番組で活躍していたタレントさんです。

その消息は2008年以降、途絶えてしまっていて、現在は活動しているかどうかの情報はありませんが、引退したという情報もありませんでしたので、おそらく年齢も考えるとまだ現役で芸能活動をしておられるのではないでしょうか。

亀山忍

高校時代、双子の兄である亀山努とバッテリーを組み、投手として活躍していました。

しかし、詳細は不明ですが事故により利き手に大けがを負ってしまい、その後の選手活動がままならなくなってしまったためか阪神タイガースの入団テストを受けるも、不合格となってしまい、プロ野球選手としての夢をあきらめ俳優としての道を進むことになりました。

もし、この二人が共にプロ野球選手として活躍していたら、新井兄弟や上本兄弟などの仲間入りを果たしていたかもしれませんね。

しかも、双子となるとかなりのレアケースではないでしょうか^^:

亀山忍に「病気」のワードが!一体どう言う事?

虎次郎
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まず最初に、亀山忍が病気にかかっていると確証出来る情報はありませんでした。。^^:

亀山忍/病気

亀山忍/病気

ですが、2019年6月15日に掲載されていたブログの中で、亀山忍さんは現在闘病生活を終えてもなお残る、後遺症と戦っている日々だということが書かれていました。

詳細などは不明ですが、どうやら後遺症が残るような大病を患ってしまい、俳優業を引退せざるを得ないような事があったことが推測されます。

亀山忍

出典https://ameblo.jp/

ただ、このブログの中では、このお店をかなり愛用していたことが伺えますのでまた元気になったら、顔を出したりしているのではないでしょうか。

亀山努/引退理由はぶっちゃけなんだったのか?

虎次郎
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亀山が引退したのは、1997年のことです。

亀山努のレフトポール直撃ホームラン!▼

出典https://www.youtube.com/

プロ野球選手の平均引退年齢がおおよそ35歳前後と言われていますので、それに比べると、かなり早い引退となってしまっています。

その理由を調べてみると、亀山はとにかく怪我の多い選手でした。。

代名詞と言われているヘッドスライディングや、果敢なダイビングキャッチなど気迫あふれるプレーが目立つ一方で、1993年にはそのダイビングキャッチが理由で、右肩を脱臼してしまい、1シーズンを台無しにしています。

亀山努

亀山努

また、1995年にも開幕してすぐに、グレン・デービスと交錯して腰椎を骨折してしまい、1シーズンを治療に費やすなど、度々大きなけがでシーズンを棒に振ることが多くありました。

しかし、これだけならまだ戦力外通告は受けたとしても、引退までするようなことではないでしょう。

むしろ、他球団に移籍することで覚醒し、活躍の場が与えられることだって十分考えられます。

しかし、それ以上に亀山には寝坊癖という、致命的な癖がありました。

当時、監督だった中村勝広も頭を悩ませていたことでしょうね。。^^:

1996年、そのシーズンは怪我の影響もあったのか、一軍登録なしに終わった亀山ですが、二軍練習にも寝坊が原因で何度も遅刻しコーチに叱責されるということが頻発していたそうです。

その際に反省の色がないと判断されそれが原因で一軍昇格がなかった、とも言われているようです。

亀山努

ただ、後にYouTubeの番組の中で、デーブ大久保と対談している際に

「ストレスや、深酒のせいで起きれなかった」

とコメントしていたり、起きる際には目覚まし時計を2個セットしていたようです。

報道される際には何を言ってもネタにされるくらいならばと、いっそのこと数を12個と大いに盛って記者に伝えていたりと、あまり自身の寝坊に関しては、気にしていないような感じも見えましたね。。

それもあってか、阪神を戦力外通告された1997年に、当時監督だった佐々木恭介の誘いもあり近鉄の入団テスト受け、一時は入団直前まで話が進んでいたのです。

が、フロントから保有選手数に余裕がないと返答され、結局入団は叶わず他球団も翌シーズンの編成が終わっている時期だったこともあり、亀山は引退を余儀なくされてしまったのです。。

もっとも、亀山ならば独立リーグなどを経てNPBに返り咲くことも、もしかしたら可能だったかもしれないだけに、少しもったいない気がしなくもありませんね。。^^:

亀山努/現役時代の年俸や成績をチェック!

虎次郎
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1987年、ちょうど神様と言われた阪神の助っ人、バースが阪神を退団した年に、亀山はドラフト外で入団しました。

出典https://www.youtube.com/

もともと、三塁手としての入団でしたが、1989年に、当時まだ選手として活躍していた掛布雅之から「球界で、自分が生き残るにはどうしたらいいか?」と質問したところ、逆に「お前が勝負できる1拍子はどれだ?」と質問を返され、自身を見つめなおしたことにより、肩の強さと俊足が、自身の最も勝負できるところだと考え、外野手へとコンバートすることを決意しました。

亀山努と新庄剛志

1992年に初のレギュラー定着、自身のキャリアハイとなる打率.287を記録するなど、亀新フィーバーを巻き起こし、当時のファンを熱狂させました。

翌年は、怪我の影響もありわずか44試合の出場にとどまり、思ったような成績も残せず、再び阪神は低迷。

怪我から復帰した1994年には、104試合に登板し、規定打席未到達ながら打率.284、自身の最高となる9本塁打を記録するなど、復帰の兆しを見せました。

しかし、1995年には再び怪我でシーズンを棒に振ってしまい、翌年は寝坊癖など、自身の生活リズムの乱れもあって一軍昇格はなく、そのまま現役を引退するまで、目立った出場はありませんでした。

わずか、8年という現役生活でしたが、亀山はどのような成績を残していたのか。

そして、その年俸はどのようなものであったのか分かりやすくグラフにまとめてみました。

亀山努/生涯成績

亀山努/生涯成績

こちらが、亀山の通算成績になります。

やはり、キャリアハイの成績を残している1992年の成績と、1994年の成績が際立っているように見えます。

しかし、そのほかの成績を見ると、あまりこれといった活躍が出来ていないような感じですね。

亀山努/生涯年俸

亀山努/生涯年俸

一時的に覚醒した、1992年のオフから一気に3倍近い年俸になっていますね。

やはり、結果を出したということもあり、球団もきちんと精査したということでしょう。

しかし、その年俸も1997年にはガクんと減っています。。

おそらく、前述の寝坊癖がかなり影響しているのでしょうね。。

■亀ちゃんと共に戦った元阪神選手一覧!

坪井智哉

藪恵壹

石嶺和彦

中込伸

田尾安志

木戸克彦

平尾博司

久慈照嘉

亀山努の全盛期の打順は適正だったのか?

虎次郎
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亀山の全盛期と言えば、やはり1992年でしょうか。

亀新フィーバーを巻き起こし、当時暗黒時代であった阪神をヤクルトとの優勝争いに導くなど、当時の阪神ファンのみならず、全国の野球ファンを熱狂させました。

亀山努

当時、亀山は主に2番として、クリーンナップのパチョレック、オマリーにつなぐ打者として、打率.287、盗塁15、四球41と一定の活躍をしています。

二番打者の役割としてチャンス拡大が求められるのですが、3割を超える出塁率と15盗塁を記録するなど、一定の役割を果たしていたと考えられるのではないでしょうか。

その活躍があるからこそ、クリーンナップの主砲の打点があがり、当時阪神に決定的になりていないと言われていた、打点力が底上げされたと考えるとやはり翌年から怪我に悩まされてしまったのが残念でなりませんね。。^^:

現役引退した今、阪神を外から見ている側として解説なども行っていますので頑張って欲しいですね。

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