【息子が判明!】八木裕の自宅はどこ?結婚した嫁(妻)&家族はいかに?

阪神選手90年代
虎次郎
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今回は元阪神の八木裕の息子(子供)や自宅、結婚した嫁(妻)&家族などを調査していきます!

八木裕と言えば、勝負強いバッティングでファンを魅了しましたがそんな彼の息子や自宅などプライベートの事などをリサーチしていきます。

既に結婚していると思われますが、嫁や家族関係などの私生活が謎の部分が多いので八木裕の事を見ていきたいとおもいます。

八木裕の経歴&出身高校中学をリサーチ

虎次郎
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1986年のドラフト会議、阪神タイガースはのちに神様と呼ばれることになる方を3位指名しました。

出典https://www.youtube.com/

その人の名前は八木裕さん、現役生活17年、そしてコーチとして6年と実に23年もの間、阪神タイガースに在籍していた、タイガース一筋です。

そんな八木さんは、岡山県玉野市の生まれです。

東児中学校という、地元の中学校に通っていたようです。

八木裕

八木裕

もちろんその中学校には野球部も完備されており、もしかしたらそのころからすでに野球少年であった可能性もあるかもしれませんね。

そして、地元である岡山県の岡山東商業高校に進学、その高校は1903年に野球部が創設され夏の甲子園には11度、春の選抜には8度出場という、なかなかの強豪高校であったようです。

(現在は倉敷商業高校が大頭したことにより機会が激減、それまでトップの出場回数でしたが、2021年に出場回数が並んでしまったようです。)

八木さんは、その高校で2年生のころからすでに4番を任されるようになるほどの実力だったようで、その年の岡山大会では、準決勝で川相昌弘(元巨人)、横谷総一(後のチームメイトで、同学年ですがプロ野球では先輩後輩関係。現在は阪神フロント所属)が所属していた岡山南高校を破り、決勝までコマを進めますが、決勝戦で残念ながら関西高等学校に敗れてしまい、その年の甲子園出場は果たせませんでした。

また、その翌年の3年生、高校生最後の夏。

八木裕

八木裕

4番に加えて、アンダースロー投法の控え投手としてもマウンドに立つこともありましたが、岡山大会初戦に倉敷商業に敗北してしまい、結局高校生で甲子園出場を果たすことはできませんでした。

高校卒業後、八木さんは三菱自動車に就職することになります。

三菱自動車で、3年間という月日を過ごしている間、八木さんはしっかりと牙と爪を研ぎ澄ましていたのでしょう。

1986年、阪神はその年のドラフト会議で八木さんの守備力と走力を評価、ドラフト3位という順位で、八木さんを指名したのです。

しかし、その野球人生は決して最初から輝かしいものというわけではなかったようです。。

八木裕

その2年後、八木さんは1年間、アメリカ・マイナーリーグに野球留学し、更にその野球脳を鍛えることになります。

その翌年、アメリカで学んできた八木さんは、6月ごろからついにレギュラーを獲得、主にショートやサード、果ては外野も守ることもあったようですが、どうやらメインでの出場はショートが一番多かったようです。

レギュラーをつかみ、出場機会を増やした八木さんは、1990年の阪神暗黒期時代、まるでそのうっ憤を晴らすかのように打ちまくります。

暗黒時代ブレイクしたのは平塚克洋や、川尻哲郎らがいましたね!

その年に生涯のキャリアハイであるホームラン28本を記録、その後も22本、21本と長距離砲の力をいかんなく発揮、1990年から6年間指揮を執った中村監督からは、「思わぬ所で一発を打つ」という意味合いで、「びっくり箱」というニックネームを付けられたこともあるそうです。

しかし、それだけ活躍していると、どうしても不運なことも起こってしまうようです。

1992年9月11日、それはヤクルト戦で起きました。

9回2アウト、ランナーは1塁。

この場面で回ってきた八木さんの打球は、レフト方向にぐんぐん伸び、左中間スタンドのラバークッションにあたり、それがスタンドイン!

その光景を見た二塁塁審が腕をまわし、八木さんのサヨナラ2ランホームランで試合は決したかのように思われました。

しかし、その判定に異を唱えた当時の野村監督が抗議!

野村克也

出典https://www.youtube.com/

そのホームランはエンタイトルツーベースとなり、そのサヨナラホームランは幻となってしまい、結果その試合は延長15回の引き分けとなってしまいました。。

その試合は、6時間26分というとてつもない試合時間で、現在でもこの試合時間が最高記録として残っています。

現在は延長でも12回までなので、この記録が破られることはほぼないでしょう。

阪神ファンキレる

その後、亀新フィーバーなどの大頭により、八木さんは一時戦力外通告一歩手前まで追い込まれてしまいますが、当時の吉田義男監督の意向により、何とか残留を勝ち取ります。

そしてその翌年、守備機会は減ったものの代打での適性を見出された八木さんは、主に代打での出場になります。

その打率は、驚異の5割を開幕からしばらくキープし続けるというもので、勝負を決める大事なところでの出番が多くなり、ついに八木さんはファンから「代打の神様」というニックネームを付けられることになるのです。

八木裕の息子(子供)は八木亮介!今何してる?

虎次郎
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八木さんの息子さんもまた、プロの道を進むことになりました。

その名前は「八木亮介」

八木裕息子/八木亮介

出典https://www.hb-nippon.com/

実はこの方は八木さんが現役最後の10月、読売ジャイアンツ戦で始球式を務めたこともあるようです。

八木亮介さんがプロに入団したのは208年、八木裕さんが引退してから4年という月日が流れていました。

ドラフト2位で指名された八木亮介さんですが、残念ながらそこから2年間は伝番はなく、2010年には左肩痛を発症し、二軍での登板機会すらありませんでした。

しかし、この八木亮介は同姓のヤクルトに入団した「八木亮祐」です!

八木亮祐

一時期は八木さんの息子ではないか!?との情報が出回っていたようですが、どうやら八木さんの息子ではありませんでした^^:

八木さんの息子は関西学院に入学して、野球はやっていたそうですが残念ながらプロには行ってないようですね。

ちなみに、ヤクルトに入学した八木亮祐は2013年には当時エース候補と言われていた藤浪晋太郎に投げ勝ち、シーズン初勝利を挙げると、その後も安定した投球で、ヤクルトのローテーションを守り抜くものの、味方の援護に恵まれずなかなか勝ち星に恵まれることはありませんでした。

それでも、その年はローテーションをエース小川とともに守り抜き、5勝を挙げることが出来ました。

その翌年は中継ぎへと転向、しかし防御率が5.87と振るわず、秋吉投手と入れ替わる形で、先発へと再転向されます。

8月5日の阪神戦では、最終回を2アウトまで進めたものの負傷交代、このときにエラーで出塁していた選手が決勝のホームを踏んだため、自責点0で敗戦投手になってしまいました。

これはエラーをした選手は謝るべきですね・・。。^^:

そして、2016年では1試合のみに出場はとどまり、このシーズンをもって、ヤクルトを退団することになりました。

本物の八木さんの息子である「八木亮介」は近本光司の同級生でもあり、よく解説で八木さん自身も自慢げに話すところがお茶目です^^

八木裕の自宅はどこ?豪邸?

虎次郎
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現在の八木さんの自宅は、ASC建築デザインという、兵庫県西宮市に拠点を置く会社がデザインを担当されたようです。

その会社は、2002年に開設され、非常におしゃれな家を建設されているほかに、インテリアや家具まで幅広く手掛けているようです。

その会社に、八木さんは自宅を建設依頼されたようです。

八木裕/自宅

八木裕/自宅

出典https://mam-mam.net/

残念ながら、住所までは明かされてはいませんでしたが、その写真を見る限りはかなり敷地面積は広く、また白を基調とした外装で、中にはなんとガラスの向こうに庭園まであるようです。

これを見る限り、やはり現役時代に相当稼いでいたのでしょうね。

なかなかの豪邸である!と思われます。

一部の一流野球選手はやはりかなりの豪邸を立てられるようですね。

八木裕が結婚した嫁(妻)は?家族構成を調査

虎次郎
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八木さんの家族構成について、分かっていることはほぼありませんね。。^^:

特に、八木さんの奥さんは公開されている情報がほぼないため、プライべートの情報は一切わかりませんでした。。

八木裕

出典https://tiger-spa.com/

しかし、八木さんには元々、ヤクルトやオリックスで活躍為された、八木亮介さんという息子さんがいるのがわかっています。

亮介さんが初めてお披露目されたのは、実は八木裕さんが引退を表明した2004年の10月、読売ジャイアンツとの最終試合でした。

その際に始球式に現れたのが、当時小学4年生であった亮介さんでした。

また、八木さんにはもう一人息子さんがおられるようです。

八木裕

亮介さんの弟さん、ということらしいのですがこの方もあまり情報が出回っていないようです。

亮介さんとどれだけ年齢が離れているのかにもよるかもしれませんが、2022年の現在で亮介さんは31才となり、プロ野球を引退して軟式野球部に所属されているようなので、今後何処かの場面で、プロ野球に現れることもある可能性も、もしかしたらあるかもしれませんね。

代打の神様と言えば八木裕!

虎次郎
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阪神タイガースには、何人か「代打の神様」と呼ばれた選手たちがいました。

出典https://www.youtube.com/

2012年の引退試合で、敗戦濃厚であるにもかかわらず、野球人生で最も手ごたえを感じたホームランを打てたと、のちに語った桧山進次郎。

内野ならばどこでもできるユーティリティプレイヤーでありながら、代打としても四球や犠打など渋い打球を飛ばし、そのまま守備に就くことも多かった関本賢太郎。

2年間という短い期間だけですが、正捕手候補であったにもかかわらず度重なる怪我で代打に転向、元キャッチャーの読みや判断力に長けた狩野惠助。

そして現在、大腸がんという大病から見事復帰を果たし、今シーズンからは外野なども挑戦して現役を続ける原口文仁。

これだけ代打の神様、という系譜が続いているのですが、その初代といえばやはり八木裕でしょう!

八木裕/代打の神様

八木裕/代打の神様

八木裕/代打の神様

シーズン序盤からしばらくの間、驚異の打率5割を記録し、その勝負強さとここぞという時の集中力、そしてそこから繰り出される見事なホームラン。

更に、どの選手よりも長く(約8年間)代打として出場し続けてきたことから、ファンからも「神様、仏様、八木様」と呼ばれるほどファンからも支持されていた八木。

これからも、代打の神様は脈々と受け継がれていくのでしょうが、やはりファンの心にある代打の神様といえば、八木裕を言うのでしょうね^^

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