『覚醒剤で母が泣いた』江夏豊の性格やエピソードが孤独だった・・

阪神選手70年代
虎次郎
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今回は江夏豊の覚醒剤の真相や母親の切ないエピソード、性格は強度の寂しがり屋だった件についてシェアしていきたい!

江夏豊と言えば、覚醒剤での衝撃的な出来事は今も記憶に新しいです。

その出来事に母親はどのような想いだったんでしょうか。。

彼は多くの伝説を残し野球界に名を残すレジェンドであるがゆえ、性格は非常にプライドが高く時には人に非難されることも多かった現役時代。

ただ、エピソード的には非常に寂しがり屋な一面もあり、母親の死後は号泣した側面もあります。

波乱万丈な人生を歩んできた江夏豊の半世紀に渡る真実を見ていきたいと思います。

江夏豊の覚醒剤事件は衝撃的だった・・

虎次郎
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江夏豊が正式引退した1985年、阪神は21年ぶりの優勝をしました。かと思うと、1987年は最下位に沈んでしまいます。。

出典https://www.youtube.com/

1988年に村山実が監督に就任した時、江夏豊を投手コーチにそして田淵幸一を打撃コーチにしたい、とメディアに公表したことをはっきりと覚えています。

不幸な形で去っていった二人と、阪神との仲を修復したい思いがあったのでしょう。

江夏豊

江夏豊

本当にそうなれば嬉しい、と思いました。

しかし、結局は実現はしませんでした。

それからしばらく、二人の話題をあまり聞かなくなりましたが1993年3月、目と耳を疑うようなニュース速報がとんできました。

江夏豊の覚醒剤取締法違反の現行犯逮捕です。

江夏豊/覚醒剤

江夏豊/覚醒剤

出典https://www.excite.co.jp/

東京都目黒区の自宅で覚醒剤の水溶液0.5ml、結晶0.8mgを所持していたところを逮捕されました。

自宅内には、注射器が16本見つかります。

腕には注射痕もあったそうです。。

逮捕直後の供述で、4年前(1989年か)の暮れあたりから使用しはじめた、と言っていました。

江夏豊/覚醒剤

出典https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/

50gを超える大量の覚醒剤を所持していたことや同棲していた女性との共用とかもどんどん明らかになっていきました。

裁判では、情状酌量を求めて野村克也や江本孟紀が出廷しました。

南海⇔阪神のトレードで、江夏豊の交換要員になったのが江本孟紀でしたが、江夏豊が彼を格下扱いし、「ワシの交換相手が、何であんな奴や」と言ったことが彼に伝わりメディアを通しての喧嘩状態になってしまいました。

江夏豊/江本孟紀

江夏豊/江本孟紀

そんな彼が証人として現れたのですから、少々驚きました。

お互いの誤解が解けてかえって友人となったのかと思うと、妙に嬉しくなりました。

他無二の親友である衣笠祥雄も、証言台で寛大な判決を願いました。

最終的に、使用期間の長さや所持量の多さから実刑となり1995年4月まで刑務所に収監されます。

その後、見事に解説者として社会復帰しますが「あの薬は、本当に人間を狂わせる」とその恐ろしさを折に触れて述懐していますね。。

母の喜美は息子の逮捕で泣いただろう・・

虎次郎
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江夏豊母・喜美は1995年6月4日、87歳で亡くなりました。

江夏豊の逮捕で受けたショックの大きさは想像に難くありません。

江夏豊/母親

江夏豊/母親

出典https://www.sponichi.co.jp/

江夏豊からもらった契約金やその後の生活費等を唄や踊りにつかい倒す一方で、登板時は必ずテレビやラジオで応援していました。

とりわけ巨人戦で初勝利をあげた時はマウンドを譲ってくれた村山実と決勝本塁打を打った山内一弘に、御礼の電話までしていました。

また、奪三振の記録がかかった翌年に病気で入院しましたが、「豊には言わんといて」、と試合に専念させるよう周りにお願いしたそうです。

その母親が亡くなった時、江夏豊は出所後でしたが、かけつけることは出来ませんでした。

経緯は分かりませんが、覚醒剤中毒から抜けるための治療をしていたのかもしれません。

その母の葬儀を取り仕切ってくれたのが村山実であったことを後年になって、江夏豊は知ることとなります。

村山実が亡くなった時は江夏豊は涙が止まらなかったそうですね。

江夏豊/性格は浮き沈みが激しく孤独だっただろう・・

虎次郎
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江夏豊が奪三振401個を記録した翌年、田淵幸一が入団しました。

そして本塁打22本で、新人王になります。

メディアはどうしても、この六大学野球出身のスターの方に関心を寄せがちになります。

江夏豊/田淵幸一

ジョークも言い、受け答えが爽やかな印象をあたえる田淵幸一に対して江夏豊は普段から、そんなに饒舌ではありませんでした。

徐々に周囲から、人が離れがちになってゆきます。

そこへ、当時話題になった「黒い霧騒動」の余波に巻き込まれます。

新記録達成の祝いとして、純金製の腕時計を反社会的勢力の人物から貰ってしまいます。

一ファンからのプレゼントと、軽い気持ちで受け取ったことが問題となり、「謹慎処分」を受けました。。

江夏豊/性格

江夏豊/性格

このあたりから孤独のイメージがより一層強くなりました。

その反動でしょうか、良くも悪くも思ったことをはっきりと言動に現すようになった印象があります。

チームメイトにはそうではありませんが、首脳陣との確執が阪神時代の後年は露骨になります。

特に金田正泰監督のときが最悪でした。。

仕事はやれと言われれば、こなしますが会話は全くゼロ。

ほんの少し口をきいただけで、「世紀の会話」などとスポーツ新聞が書き立てたほどです。

内心は「ひどい寂しがり屋だった・・」、とはよく聞きます。

先の覚醒剤事件も、それがきっかけになった原因のひとつと言えなくもないです。

江夏豊のエピソードを振り返ろう

虎次郎
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口ではうまく表現出来ない江夏豊ですが、嬉しさや感謝の念を体で表現したこともあります。

出典https://www.youtube.com/

村山実の引退試合の時です。

ラッキーゾーンからマウンドに行くまで、江夏豊と他4名で村山実を騎馬戦のように担いで登場させました。

自分から「そうさせて欲しい」、と願いでたそうです。

入団時村山実から、巨人戦で「俺こっち(長嶋茂雄)、お前あっち(王貞治。王と勝負しろという意味)」と諭した話はあまりにも有名です。

村山実が監督に就任した後は、若干確執等がありましたがお詫びと感謝の気持ちで、そのような恰好になったのでしょう。

江夏豊/エピソード

江夏豊/エピソード

また、浮いた様な存在に見えがちではあったものの、投手陣の間では取りまとめ役になることもよくありました。

悪い意味で球史に残る、鈴木皖武と権藤博の監督殴打事件にも立合っています。

鈴木皖武は話し合いが荒れた際に、止めに入った形です。

権藤博の方は、金田正泰監督からパワハラを彼が受け続け必死に我慢していたことを、江夏豊も良く知っていました。

話し合いの中で報復があろうことを知った上で立合っています。

故に江夏豊も共犯者のように扱われますが、発言すると余計誤解を招くと思ったのか?あえて反論はしていません。

■伝説がスゴかった元阪神ピッチャー!

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星野伸之

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川尻哲郎

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江夏豊/阪神時代の伝説がヤバすぎる・・

虎次郎
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江夏豊の阪神時代の伝説は、山のようにありますが一点に絞って記します。

江夏豊/伝説

江夏豊/伝説

1983年8月30日の対中日戦で達成した、ノーヒットノーランです。

近年、サンテレビの再放送でこの試合を見る機会がありました。

中日の先発は、松本幸行。江夏豊は勿論9回を投げて無安打2四球。一方の松本幸行も、4安打3四球とまずまずの内容で無失点を続けます。

当時の阪神は、彼のような変則的サウスポーを苦手にしていた時期でもあります。

見ていると、豪速球を投げるというよりコントロール重視でとても丁寧に投げていた印象です。

江夏豊

中日の4番井上弘昭にあわや、という大飛球を打たれた以外は凡打にしとめてゆきます。

そして11回裏、江夏豊はストレートにヤマを張って打ち上げるとそのままライトスタンドへ。

史上初の延長戦でのノーヒットノーランであり、投げ切った投手が決勝点をあげるという、今後おそらくは達成できないであろう大記録でした。

観客数は、今では考えられない9000人。

観客がそこそこいた、内野席ばかり映っていたのも印象的でした。

この試合後、本人は言いもしない「野球は一人でもできる」、という暴言が一人歩きしたことはとても残念でしたね。。

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