『成績&年俸エグい!』田淵幸一の全盛期やトレードの真相がヤバ過ぎる!

阪神選手70年代
虎次郎
虎次郎

今回は田淵幸一の成績&年俸や全盛期、トレードの真相や裏側についてシェアしていきます!

田淵幸一と言えば、「ホームランアーティスト」ですよね^^

当時、全盛期の阪神時代の成績や年俸などトレードになる前の彼がどれほどヤバかったのか・・

また、そんな彼がなぜトレード放出になったのか?・・

キャッチャーでありながら本塁打を40本もマークできる捕手はなかなかいない中で、放出に踏み切った球団の真相はなんだったのか?

早速、解明していきたいとおもいます。

田淵幸一の全盛期の成績がエグすぎる・・

虎次郎
虎次郎

田淵幸一が最も成績が良かった時期、それはやはり阪神に在籍していた10年間ではないでしょうか。

出典https://www.youtube.com/

掛布雅之が4代目ミスタータイガースと言われる以前、三代目のミスタータイガースとして打線を引っ張っていた田淵さん。

ホームランアーチストとも言われ、たくさんのホームランを量産していたのですが、そのタイガースに所属していた時の成績はどのようなものだったのでしょうか?

田淵幸一の全盛期の成績

田淵幸一の全盛期の成績

以上が、阪神での成績一覧になります。(赤文字はリーグ最高となっています)

こうしてみると、キャッチャーでありながらホームラン数がヤバいです・・^^:

軒並み.450以上をキープし、1974年から2年連続で40本塁打以上を達成しています。

田淵幸一/生涯成績

田淵幸一/生涯成績

特に、本塁打王を獲得した1975年は塁打、そして長打率でリーグ最高を記録しており扇のかなめとしてだけではなく、中軸としても大活躍した1年だったようです!

田淵幸一のトレードの理由や真相は何だったのか?

虎次郎
虎次郎

1969年に阪神に入団して以降、ホームランアーチストとして活躍し続けていた田淵さん。

捕手として1974年に45ホームラン、102四球を記録。

その年のPV(プレイヤーズバリュー。選手の指標の一つ)92.8と、同年に3冠王を獲得した王貞治よりも高く、いかに田淵さんが驚異的な選手であったかということを物語っているでしょう、

その翌年、43ホームラン、打率.303を記録した1975年のPVも96.3と、前年度を上回る驚異的な数値を残します。

田淵幸一

しかし、1978年からは守備力の低下など年齢による劣化が目立ち始め、主に一塁として出場、捕手としては79試合の出場にとどまります。

しかも、翌年新たに就任した阪神唯一の外人監督であるブレイザーの構想からは、田淵さんは外されてしまっていました。。

しかし、長い間阪神の主力として活躍し、漫画のモデルにもなった田淵さんを欲しがる球団はいくつもありました。

阪急・近鉄・そして当時新たにプロ野球に参入した西武です。

田淵幸一/西武時代

田淵幸一/西武時代

西武と言えば田尾安志も後に西武から阪神にやってきましたよね^^

特に、西武は新生ライオンズの目玉として全国的な人気を誇る田淵さんを欲しがっていたこともあり、強打者の竹ノ内雅史、25歳のオールスター遊撃手・真弓明信、強肩捕手でありこちらも25歳であった若菜嘉晴を放出するという大盤振る舞い。

球団同士のトレードが了承され、ホームランアーチストと呼ばれた三代目ミスタータイガースはパ・リーグへと戦場を移すことになります。

しかし、当人の田淵さんは激怒!

田淵幸一/トレード

田淵幸一/トレード

当初は移籍を良しとせず、引退をも辞さない考えでしたが、西武の監督であった根本陸夫が法政大学時代の先輩であり、もともと東京の池袋で育ったこともあり、西武球団には悪い感情がなく、最終的にトレードを了承。

西武へと移籍を決めたのです。

しかしながら、その西武でも阪神時代の実績を十二分に活かしホームランを連発!

西武のリーグ優勝、並びに日本一に大きく貢献しています。

優勝時のビールかけ▼

田淵幸一/西武時代

放出された4選手も、「人気のセ・リーグ」と言われ、しかも最古の球団である阪神へと移籍することに対して、もちろん嫌がるはずもなく移籍を了承。

こうして、阪神の主力として10年間の現役生活を過ごした田淵さんは、西武へと移籍していきました。

田淵幸一の生涯年俸をチェック!

虎次郎
虎次郎

1976年から1984年まで、実に16年もの間プロとして、阪神と西武で活躍した田淵さんですが、その生涯年俸はいかほどだったのでしょうか?

出典https://www.youtube.com/

もちろん、ホームランアーチストとして活躍した阪神時代のほうが、高年俸をもらっていた可能性
はあるでしょう。

それを直接、グラフで表してみるとこのようになりました。

田淵幸一の生涯年俸

田淵幸一の生涯年俸

残念ながら、阪神時代の年俸に関しては情報がなく、西武に移籍してからの年俸しか解りませんでした。。^^:

しかし、このように最終年1984年の年俸が当時のレードで6800万と高くなっており、ついで1983年が4200万と高年俸です。

この時代の年俸6000万円は今の時代(2022年)で言う1億5,000万円ほどに相当します!

阪神時代も、このくらいの年俸をもらっていたのかもしれませんね。

特に、本塁打王を記録した1975年の年俸は、もしかしたら1984年の年俸に近いものであった
かもしれません。

田淵幸一/阪神時代にホームラン打ちまくっていた!

虎次郎
虎次郎

阪神の主力として活躍し、「ホームランアーチスト」との呼び声が高い田淵さんですが、その異名は本当に正しいのでしょうか?

1969年から1979年、西武にトレードされるまでに積み重ねたホームランは320本、生涯のホームラン数が474本なので、実に2/3ほどを阪神時代に積み上げたことになります。

田淵幸一/バッティング

しかも、1972年から1976年の4年間、連続で30本以上のホームランを量産!

1975年には本塁打王を獲得するなど、まさにホームランバッターとして阪神を支え続けました。

しかし、その後西武に移籍した後に30本塁打以上を打ったのは1980年と1983年の2回のみ、年齢の衰えが始まったのか、阪神時代ほど量産することは出来ませんでした。

しかし、それでも5881打席のうちで打ったホームランは474本、計算すると12.4打席に1本はホームランを打っている計算になります。

勿論、単純に打席数のみで計算はできないのですが、これは日本記録を保持している王貞治に次いで第二位の記録となっています。

その大柄な身体から放たれるホームランに憧れた、当時の野球少年も多かったことでしょう。

田淵幸一

阪神でキャッチャーをやっていた関川浩一も、阪神時代から巧みなバットコントロールで高打率をマークしていました。

そして中日に久慈照嘉と2対2のトレードで放出され、中日移籍後はそのバッティングにアジャストするために外野にコンバートされ中日星野監督時代には打ちに打ちまくり打率330をマーク!

その後、中日のリードオフマンになりリーグ優勝に大きく貢献していますね。

田淵幸一のバッティングフォームやなぜ打てたのか検証!

虎次郎
虎次郎

守備面が重要と言われている捕手において、通算474本という大量のホームランを打った田淵さん。

重労働と言われているポジションですが、それだけのホームランを量産できるには、何か理由があったのではないのでしょうか?

田淵幸一/バッティング

出典https://www.nikkansports.com/

田淵さんは、確かに体も大きい選手でしたが、決して無理にホームランを打っていたわけではなく、「バットにボールを乗せ、綺麗な放物線を描くようなホームラン打者」であったそうです。

代打の神様と言われた八木裕や、長崎慶一などもキレイなホームランを打つアーティストでしたよね^^

記者によると、田淵さんのフォームは”日本の元祖”が詰まっているようなフォームであったということです。

左肩を内側に構えるクローズドスタンスからトップの形が出来るまで、ほとんど上半身が動かず、左足のステップを最小限に抑え、体の回転だけで打ちに行く。

田淵幸一

田淵幸一

非力な日本人では長打を打ちにくいようなフォームのはずでしたが、田淵さんはこれでホームランを量産しているのです。

ハンマー投げのような形でバットのヘッドを走らせ、上半身を後ろに引くようにして打てるのは、田淵さんの体感の強さのたまものではないでしょうか。

また、フォロースルーもまるで、外国人助っ人選手並みに大きく、バッドのヘッドをこねないように仕えているため綺麗な放物線が描けるそうです。

両ひざの高さもほぼ変わらずにスイングができるため、軸がぶれずにダイレクトにボールに力が加わり、大きなフォロースルーでボールを「運ぶ」ことが出来るのです。

これが、非力な日本人でありながら、田淵さんがホームランアーチストとして王貞治に続く、第二位のホームラン率を残せた秘訣なのでしょう。

コメント