今回は亀山努の昔の若い頃がイケメンだった件、小学校や学歴に関してのことやヘッドスライディングがヤバかった事などを追求したい!
亀山努と言えば「ヘッドスライディング」この言葉がピッタリな選手でした。
また、若い頃などはイケメンだったこともあり女性ファンがワンサカいました。
彼の出身である生れ育った小学校と学歴なんかも調査していきたいとおもいます。
亀山努/昔の若い頃はイケメンだった!
90年代、暗黒時代と言われていた阪神において、唯一希望の光と言える成績を残す、二人の選手がいました。
出典https://www.youtube.com/
一人は、現在日本ハムの監督として指揮をしているBIGBOSSこと、新庄剛志。
そしてもう一人は、亀山努です!
この二人は亀新フィーバーと呼ばれ、当時暗黒時代の真っただ中にあった阪神を優勝争いが出来るまでのチームを一時的にとはいえ押し上げ、落ち込んでいたファンに希望をもたらしました。
そんな亀山努ですが、現役時代と現在の体形があまりにも違いすぎることが、一時話題になっていました。
若いころ、亀山はこのようにやや細身ではありますが。引き締まった体をもち、屋や画像が荒くはっきりとは見えませんが、顔だちもシャープで眼鏡の下からでも、眼光が鋭いのが見えます。
しかし、1997年に引退したのち、彼は劇的に変化していました!
アスリートは、現役時代には身体を毎日のように酷使して新陳代謝を上げているので、よほどのことがなければ太る、ということはありません。
しかし、現役を退き、トレーニングをしなくなった彼らは、一気にその代謝が落ちてしまい、このように死亡が体にどんどん蓄積されて行ってしまうのです。
最初に引退後私を膝から崩れ落ちさせた選手は亀山努です。大好きだった。細身でイケメンだった亀山はいつのまにか3倍くらいになってた。成長期だったのかな…。
— 眼鏡幻覚トリッパーソウタ (@sota0918) May 22, 2016
さらに、「亀山はもともと太りやすかったのではないか?」、という話もあります。
出典https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/
亀山努のように現役時代から激変して太ってしまったのは中込伸や、井川慶もそうですね。。^^:
炭水化物が好物で、少年野球の監督についたものの運動量が減り、しかし現役と同じように食べていれば、太ってしまうのは自明の理だったでしょう。
ここまで太ってしまうと、昔のイケメンであった頃の面影は全くありませんね。
亀山努の出身小学校や中学校など学歴を調査
亀山は、生まれこそ大阪ですが、中学の時に奄美大島へと転居しています。
出典https://www.mbs1179.com/
小学生に上がる前から双子の弟と主に野球を始め、そのコーチは父親でした。
毎日のようにノックを受け、少しでも怖がると父親から容赦のない鉄拳が飛び、まるでその怒りをぶつけるかのように、父親にぶつけるつもりで強く返球しているうちに肩が鍛えられていきました。
小学生へとなり、地元枚方市のリトルリーグに所属し、鹿屋中央高等学校へと進学した亀山は、2年生の時に鹿児島県大会で優勝を果たしています。
しかし、どうやらこの大会は夏の甲子園や春の選抜とは無関係の試合であるようで、調べてみたところ、鹿屋中央は1986年には鹿児島県予選の第三回戦で鹿児島商業に敗退しており、亀山事態は甲子園出場の経験はないようです。
小学、中学にかけては学校の名前は不明でしたが、少なくとも、不登校などの経験はないようです!
亀山努と言えばヘッドスライディング!まさに武勇伝だった・・
亀山努は、現役時代に「カメちゃん」の愛称で親しまれていましたが、それと同時に気迫あふれるヘッドスライディングを連発していたことから、ミスターヘッドスライディングという二つ名も持ち合わせていました。
出典https://www.youtube.com/
もともと、アベレージタイプのバッターであり、足も速かったことで、その守備範囲を生かすために外野手へと転向、更に1991年にアメリカリーグ1Aへと野球留学した際に、引率していた石井晶コーチから「自分をアピールすることが必要だ」と助言を受け、その結果編み出したのが、彼の代名詞となるヘッドスライディングでした。
バウンドの高い内野ゴロであれば一塁まで全力疾走、頭から突っ込みセーフをもぎ取り、外野の深い位置まで打球を飛ばせば、二塁を駆け抜け三塁まで一気に陥れ、そしてまたヘッドスライディング!
#私を夢中にさせた野球選手
亀山努
プロ野球選手が一塁にヘッドスライディング子供心に衝撃やったなー pic.twitter.com/8MUmVaKK0r— 獣王無敵タイガース (@juoh_27) July 17, 2016
その気迫あふれるプレーは、ファンのみならず選手たちにも力を与えるかのように、92年の阪神を優勝争いできるほどのチームに押し上げる原動力となったのです。
しかし、そのプレースタイルはいつまでもできるわけもなく、97年には怪我に悩まされるようになり、28歳という若さで現役を退くことになってしまいました。
しかし、その最後の試合でもしっかりと、代名詞であったヘッドスライディングで締めくくった亀山は、当時を知る阪神ファンの中で、特別な人物であることは、間違いなさそうです。
オールスター出場など暗黒時代を支えたプレイヤーだった・・
90年代、阪神は長らく続く暗黒時代に悩まされていました。
一定の活躍を残す選手はいたものの、とにかくかみ合わず敗戦が続き、Bクラス常連チームとなっています。。^^:
そんな中で、1992年に現れた亀山・新庄の二人はまさに、阪神にとって希望の光と言っても過言ではなかったでしょう。
ヘッドスライディングを心情とし、気迫あふれるプレーに惹かれた野球ファンは、オールスターのファン投票でも亀山を推しました。
オールスターの得票数の中間発表で最多得票は西武山川の14万票との記事があったけど、インターネット投票も無い時代の阪神亀山努の50万票はとてつもない数字だな。
— ニコニコ@KYOTO BABYS (@nikoniko451) June 10, 2022
その結果、92年と94年の2度選出され、94年には新庄とともに選出され、低迷していたチームにとって、これほど光を見た時はなかったでしょうね!
ライトの守備は新庄に匹敵したほどだった!
亀山は現役時代、その俊足を活かし、元々内野手であったのを外野手へと転向しています。
幼少時代から、双子の弟とともに父親のスパルタ教育を受け、そのうっぷん晴らしのように全力返球していたため、肩が鍛えられていたようで、適性もあったのでしょうね。
その証拠に、暗黒時代真っただ中であった90年代の阪神において、亀山は1992年にオールスターにも出場、シーズンオフにはゴールデングラブ賞を獲得するなど、守備においては一定以上の技術があったのは、間違いなさそうです。
そして、その相方である新庄剛志も、やはり93年にゴールデングラブ賞を授賞!
単純な守備率だけでは比較することは出来ませんが、亀山、新庄ともに失策数は非常に少なく、どちらも守備率.950以上を叩き出しており、亀山はその守備によってどれだけチームに貢献しているかというWRAという数値が1.8を記録しています。
これはつまり、「亀山はチームに1.8勝分の貢献をした」、ということになります。
奄美ことば指導 亀山忍
双子の弟の方
兄は元阪神タイガース亀山努
ヘッドスライディングの人
BIGBOSS新庄剛志との右中間は鉄壁の守備だった#芋たこなんきん— 和桧 (@kazuhinoki) May 10, 2022
対して、新庄もWRA2.1と、2勝分の貢献をしているというデータがあります。
この二つを見る限り、どうやら守備に関しては、お互いそこまでレベルに差があるようには見えませんね。
1994年には、亀新共々オールスターに選出され、その外野コンビは、当時の阪神を大いに沸かせています。
守備においても、この二人の活躍は当時の阪神にとって、本当に希望の光に見えたのでしょうね^^
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この記事を書いた人
- どうも、The Tigers管理人の虎次郎です!阪神ファン歴30年以上のコアなオールドファンです。阪神タイガースに関しての事なら私生活と同化しているほどのマニアです。「日本イチの阪神ファン」と公言しているダンカンにも負けない自信があります!とにかく阪神タイガースが好きな方、愛している方、ファンの方には絶対に楽しめる専門サイトになっていますので、ぜひ楽しんで行ってください!
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